2018/11/03

末吉保雄先生を偲んで - If I have seen further it is by standing on the shoulders of Giants



「私がかなたを見渡せたのだとしたら、それはひとえに巨人の肩の上に乗っていたからです。−アイザック・ニュートン


 2018年8月20日、作曲家の末吉保雄先生が永眠された。

25日ごろ、知人のツイートで気になるものを見かけたので、試しに「末吉保雄」と検索をかけてみた。「末吉保雄さん、死去」と言う記事が目に入り、瞬時に思考が止まった。……。ちょうど2週間後にレッスンをひかえており、あわただしい日々の中ではあるけれど、ちゃんと課題をこなさねば!と机に向かった夜の事だった。突然、どこかに、身体ごと放り投げられたような気持ちだった。ついひと月前に先生が課題に書き込んだ文字が、音符が、まだ、生きているのに。。突然の終わり。そんな…まさか、なぜ?…と。重々しい扉が、目の前で閉じてしまったような気がした。今でも、とても悲しい。

末吉先生に初めて出会ったのはおそらく高校2、3年の頃のこと。ピアノ科の生徒であった私は、あまりピアノに熱心ではなく、お師匠さんに「あなた作曲に興味あるなら作曲科に行ったら?」と勧められ、和声を作曲科の先生について勉強していた。次第に「作曲なら芸大にいけば?3年は浪人するだろうけど。」となり(今思えばずいぶん安直だ!)、芸大の受験ならば末吉先生が良いと言う事で紹介してもらい、先生につくことになった。

先生のお宅に初めて行った日のことは良く覚えていない。そして実はレッスンの内容もあまり覚えていない。先生のメモが鉛筆でたくさん書いてある和声や対位法の本だけが残っている。宝物はあとになってやっと気がつく。先生が亡くなった今、私に先生のひとことひとことが、やっと芽吹いてきている。なんでもっと早く気づかなかったのだろう。あの頃気づいていれば。

高校時代、私は芸大受験どころかジャズにはまり込み、先生に「本当はジャズの勉強をしたい」と申し出た。末吉先生は、15、6の娘の興味本位(もちろん当時は本気だった)に呆れるでもなく、親身になってくださり、学校を調べたり、アドバイスをしてくださった。先生のことを慕って20年近くあとにまた再び門を叩いたのは、実はこのことがあったからなのだ。先生が、音楽を表面上で分け隔てることのない、厳しく誠実な真の音楽家であると、高校生ながらにわかっていた。

2016年、私はクラブ・ミュージックに傾倒し、クラブに通い、随分と研究をして自分なりに模倣して音楽を作っていたが、 どうしても自分の理想とするものの形と自分がやっている事の違いから目をそらすことができず、理想に近づく方法が知りたかった。答えなどないのはわかっているけれど、何かきっかけ、ヒント、、そういうものが欲しかった。その時、末吉先生の事を思い出した。先生ならば、全く違う世界ではあるけれど、私の言いたい事を理解してくださるだろうし、何か大きなヒントをくれるに違いないと思い、再び門を叩いた。

20年ぶりに会う先生はちっともお変わりなく、私のことを「君は昔ジャズをやりたいと言っていたよね、良く覚えている。だから今回、君が音楽について相談があると言って手紙をくれた時、すぐに思い出したよ」と笑顔で迎えてくださった。リリースしていた"night of the vision"を献呈し、自分の今考えている事、どうしたら良いか悩んでいる事、本当は何を理想としているのか、時間をかけて全て打ち明けた。先生は思いもよらないアドバイスをくださった。その時すぐにでもレッスンを再開しなかった事を、とても悔やんでいる。しかし私はそれを選ばなかった。作りかけている音楽があったから、それを完成させたら、先生に再び対位法、ひいては作曲そのものをいちから習おう、と決めていた。

それから1年後、現在リリース準備中の音楽もほぼ完成して、やっと勉強する時間も取れそうだという事で、再び先生に対位法や記譜やオーケストレーションを勉強したいと伝えた。先生は大変喜んでくださり、「あなたがお子さんを育てながら勉強したいという事、とても尊敬します。」と励ましてくださった。2018年があけたばかりの事だった。

それから、思えばたった6回…しかし一生の宝である6回のレッスンを受けた。

小さい子供を育てながらだとやはり思うように課題がこなせず「来月は少し課題が少なくなるかもしれません」と言うと「構わないですよ。何も課題に赤を入れるだけがレッスンじゃない。伝えたいことはたくさんありますから。」と仰ってくださった。私も、先生に何から何まで音楽の話を聞きたかった。もっと、たくさん教えて欲しかった。私は、巨人の肩に乗っていたのだった。自分の力では見渡すことのできない、音楽の平原を、先生の肩の上に乗ることで、見ることができていたのだ。今は、再び自分自身に戻ってしまった。少しだけ見渡せた平原は、あまりに深く広く果てし無く、私はもう音楽のことなど何も知らないこどものように感じる。これが、正直な今の気持ちなのだ。

「僕は、ジョスカン・デ・プレが一番凄い作曲家だと思っていてね、彼のような作曲家はもう出てこないとおもっている。夏の夜に、山小屋かなんかでジョスカン・デ・プレの楽譜をよみながらビールでも飲めたら、とても幸せだなあ」

先生の言われた言葉を思い出せるだけ思い出して、探って、果てし無く探って、ひとりで行くしかない、と。悲しいけれど、もうそれしかないのだ。

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