2025/12/20

farness

Photo by Sarah Moon
 
この夏、写真家のサラ・ムーンさんの作品を初めて目にする機会がありました。和紙にプリントされた作品なのですが、とても不思議な展示の仕方で・・・思い返しての印象なので間違っているかもしれませんが、プリントされた繊細な和紙の上部のみをセロハンテープみたいなテープで無造作に留めてヒラっとした状態のものが、そのままケースの中に静かに収まっているような感じでした。和紙の裏側にも空間がある、その光の感じも相まって、一つ一つの作品の余白感が未だに心に残っています。

何が良いかというと、その存在感の「遠さ」。中でもひとつ飛び抜けて印象的な作品があり、このように音楽を「遠さ」を持って扱えば良いのかとヒントを得たのですが、いくら検索しても出てこない。写真展にもう一度足を運ぶしかないです(ちょうど今京都で開催されているようなので)。目を瞑らずとも心に浮かぶほど、詩情を感じる作品でした。もう一度見たい・・・でもこの残っている「印象」こそ鑑賞して得たものなのだろうから、もう見なくていいのかもしれないけれど。

「遠さ」と言うのは、音を扱う/音楽を作る際に、私の中でも近年とても気を使っていることのひとつです。音だけではなく、時間─つまりリズムやなんかも・・ヴェール越しに触れる・見るように、直接は届かない遠さで、曖昧にしたい。あからさまに境界を区切りたくない。例えばある和音があるとして、それをそのまま出したくはない。その左右前後を、曖昧になるように「遠さ」という「霧」で包みたい。ただし、その「霧」は隠すべきものと同じ素材を使うのが良いと思うし、何かを加えて覆い隠すことだけが方法ではないかもしれない。などなど。この答えのない、曖昧な考えを混沌と深め始める時が、至福の時間です・・・・。

そのようなことを考えていた時、作曲家の近藤譲さんがある講習でまさにその「曖昧にする」具体的な考えをお話しされていたことを知りました。それはもう明確な方法を持って試行錯誤されています。その内容はこちらで。曰く「曖昧にするには、きっちりとやらなければ、ちゃんと曖昧にならない」と。格好良いッッ・・・・・・・・。

今日は冬至ですね。私の一番好きな日で、私個人は今日が年明けです。明けました。
→22日でした。まだ明けてません。

2025/06/27

laissez vibrer

 

先月 Stone Music(元タージマハル旅行団の長谷川時夫さん率いる、電子即興音楽バンド)に参加しましたご縁で、主催のMIMINOIMIさんのポッドキャストにMix音源を提供しました。

「インスピレーションの赴くままに作ってください」というご要望でしたのでそのようにしたかったのですが、ちょうどお話をいただいた時期に急性膀胱炎にかかり(人生2度目だが、1度目より数倍ひどく死ぬかと思った。初めて血尿も出た。わたくしの膀胱のエコーを見て、ダンディなお医者様が「かわいそうな膀胱!」と嘆くほど。特に女性はお気をつけください。疲労と睡眠不足と冷えに要注意)、2日後に責任のある発表会を控えていたのでBOKOENを2日で死ぬ気で治さねばならぬ、という渦中でしたので、インスピレーションどころか・・身体的には地獄でした。超人的な膀胱だったのでしょう、めでたくきっかり2日で治りました。良い子。まあ、水分を飲みまくって痛みを堪えて出しまくったということです(ごめんあそばせ。でもこれが治る近道)。

そういえば数年前にCHANELのwebムービー用の音楽を依頼された際も、娘と共にマイコプラズマ肺炎か何かにかかり、受診させたり受診したりしながら死ぬ気で作り上げた記憶があるな・・・そういう時のくそ力だけはあるのですねえ。

というような、ものすごく気合の入ったMIXです。簡単な解説とトラックリストはこちらです。

In the correspondence collection “Sound, Language, Human” between Junzo Kawada and Toru Takemitsu, anthropologist Kawada writes that while listening to Mozart felt oddly out of place during his time living in tropical Africa, he was deeply moved by how Takemitsu’s November Steps did not clash with the sounds of birds around him. This comment left a strong impression, as it seemed to suggest a new way of thinking about how music is received and perceived.

Since then, I began to wonder what kind of music can “coexist with natural sounds without canceling each other out.” That led me to discover a unique book titled The Orchestra of the Wild, which showed me that natural sounds themselves are diverse, rich, and complex—forming a sonic field in which each sound enhances the others.
Incidentally, I personally regard Toru Takemitsu as an extraordinary composer who used Western instruments to create music that resembles the intricacy of natural soundscapes. Especially notable is how he achieved this even with the piano, an instrument whose pitch cannot be adjusted—something that speaks to his remarkable ear.

Based on these experiences, I became interested in how music sounds when placed alongside natural sounds, and created this mix around that theme. It combines pieces that seem to blend naturally into the environment with others that demand focused listening on the music itself.

川田順造と武満徹による「音・ことば・人間」という往復書簡集の中で、文化人類学者である川田氏が「熱帯アフリカでの生活の中でモーツァルトを聴くと妙に白々しい感じがするのに対して、武満さんの『ノヴェンバー・ステップス』は鳥たちの声が邪魔にならなかった事に感銘を受けた」と書いていた。音楽の「聞かれ方」への新しい方向性を示しているようで、鮮烈な印象を受けた。


それ以来私は「自然音と共にあってもお互いを打ち消し合わない」音楽とはどういうものかと考えるようになり、「野生のオーケストラが聴こえる」というユニークな本に出会う事によって、そもそも自然音自体が多様で豊かで複雑に在り、お互いを生かし合う音響体であることを知った。ちなみに、武満徹は西洋楽器を使用して非常に複雑な自然音のような音楽を作り上げた素晴らしい作曲家だと個人的に思う。特にピッチを調整できないピアノでそれを成し遂げている事に、氏の耳の良さを思わずにはいられない。


以上のような経験もあり、自然音と共にあると音楽がどう聞こえるかに興味を持ち、それをテーマとしてmixを作った。より本来的に聞こえるものと、反対に集中して音楽そのものを聞きたいものとが織り交ざっている。
今はあまり多くの音楽は聞かず、曲そのものを演奏する事でその音楽を知るという事が多いので、ピアノ曲を多く選ぼうと考えたが、結局は昔から好きなものなどが入り込む混沌としたものになった。

- Tracklits -
1.Sacrifice-The Last Dialogue:Mami Konishi /Guitar:Takeshi Nishimoto
2.Musica Callada:Federico Mompou /Piano:Yuji Takahashi
3.STILL LIFE:Hirokazu Hiraishi /Piano:Satoko Inoue
4.Souvenir:Christopher Butterfield /Fortepiano:Katelyn Clark, Piano:Luciane Cardassi
5.Memories Of Green:Vengelis
6.La Déploration De Johannes Ockeghem:Josquin Des Prez /The Hilliard Ensemble
7.Ocean Of Tenderness:Ashra
8.Noa Noa:Kaija Saariaho /Flute:Camilla Hoitenga
9.Whites SS:Gavin Bryars
10.Funeral:Joni Mitchell-Mingus
11.In Liebe dein:Hans-Joachim Roedelius
12.Lucky:Joni Mitchell-Mingus
13.The Wolf That Lives In Lindsey:Joni Mitchell
14.Night Signal-Signals from Heaven II:Toru Takemitsu /London Sinfonietta
15.There is no one, not even the wind…:John Luther Adams
16.Kronstorfer Messe WAB 146 I. Kyrie:Anton Bruckner
17.Still Space:Satoshi Ashikawa

Background Nature Sound/ Borneo:Takeshi Mizukoshi

-Selector-
Mami Konishi 

補足としては、「自然音」をそのまま自分の創作した音楽に使うということは、あからさまにリラクゼーション的な目的や要望がない限り、今の私にとっては好ましいとは思っていません。風なら風を、雪なら雪を表すために、自分の持てる/想像できる限りの音の中から音を探す─正しい言い方ではないと思いますが「努力」が、音楽を作る意味、、だと考えているからです。

2025/03/20

Sacrifice

 

 
 
リリースをして1ヶ月と少し経ちました"Sacrifice".
試聴用の一部ではなく全曲を通して公開しましたので、どうぞお楽しみください。

ScorebookCDは、それぞれに違う味わいがあります。
あわせてどうぞよろしくお願いいたします。

2025/03/11

Nude Descending a Staircase

Marcel Duchamp

音楽を作ることに関して足りないことを考え出すとキリがない。持てる道具で作るしかないのだとはわかっているが、いつまでたっても、むしろ、やればやるほど満足ができない。

「作曲する」という行いは、どこからどこまでを指すのか分からないし、決まった作り方も、最終的にどうやって曲ができるのかも、明らかではない。まるで霧の中から現れたようにも思える。

今までの大まかなやり方としては、簡単な譜を書き、言葉を書き、ソフトウェアで鳴らし、自分を律しながらそれらを構築する。段々と律せなくなってきて(抗えない情熱に負ける時)、その時々の思いつきや偶然や空耳(この「空耳」がヒントになる時が多々ある) によって想定外の音が加わり、混沌に混沌を重ねてゆき、全くよく分からないものになっていく。そしてある程度煮詰まると、混沌から上澄みが見えて、だんだんと絵になってくる。

・・大抵このような道筋をたどっているのだが、この時点でいつもは完成とさせていたものも、今では何かが足りない。どう見ても聞いても、できたものは「質感のない、平らな絵」でしかないと感じてしまうのだ。起こる出来事やサウンドは、それなりに美しいと思えるものであっても、肉体を通ったものではないのだ。

それは、「ソフトウェア上で組み立てられた音であり、空気を通していない音であるから」ということとは次元の違うことなのだと思う。 例え全てがデジタル上であっても、「そのもの」としか感じられないものもあるはずだ。私はきっと「絵」から「肉体」にする術がまだわかっていないのだ。そのことに気づき始めた、ということが救いではあるのかもしれない。

私は「音」に、まるでそこにあるもののように触れたいのだ。

写真は内容とはほとんど関係のない、マルセル・デュシャン。私の中では全てがとても密接に関わっているので、唐突にご紹介。トイレの便器で有名。墓碑銘が”D’ailleurs,c’est toujours les autres qui meurent.”(「さりながら死ぬのはいつも他人ばかり」)。

2025/03/04

r-h-y-t-h-m

Photo: Eliot Porter

 一定の音や音像が常に続いていると、やがてそれは聞こえなくなってくる。どこでそれが途切れるか、無くなるか、ということがとても大切な点で、有ったものが消えることによって周期が感じられて、それがリズムになる。複雑に書き込まれたリズムがリズムというわけではないのだと思う。ちなみに、複雑なリズムが書けない上に、読むのも超億劫だ。演奏者に計算をさせるでない(小声)。さらにちなみに、複雑なリズムを書ける人々、緻密に再現できる人々を尊敬している。

つい先日、高橋悠治さんの完全フリーのセッションを偶然聞く機会があったのだけれど、高橋さんの演奏は、リズムの塊だったように思う。常に鍵盤の上にグルーブしている何かが息づいていて、その周りで演奏されているように感じた。その中心からどれだけ離れるか、またはその中心にタッチするかの塩梅が絶妙で、グルーブの形まで見える様だった。もちろん、響きや選ぶ音、指の鍵盤への触れ方、相手との対話の距離など、すべてが達観されているものだったけれど、それに加えて一番感じたのがリズムの妙だった。

「写真」にもリズムがあるという。Eliot Porterを見た瞬間に「リズム、かくたるや」と髄で感じた。どの写真を見ても完璧に美しくバランスが取られていて、ただの石とかシダとか葉っぱなど、全体の中のそのものの、一番すばらしい時を見せてくれる。私が少しだけ自然の中に入っても、ついぞこのように見えたことがない。

2025/02/28

New Release: Sacrifice


 
公式のリリースは2018年以来7年ぶりですが、「Sacrifice」という音楽と、その楽譜(アートブックのような)をリリースしました。楽譜にはCDが付いています。

Bandcampおよびオンラインショップで購入可能です。

リリースに伴い、素晴らしいもので埋め尽くすための簡素な小屋(レーベル)も建てました。音楽的に感ずるものならばなんでも・・・学びになることや、時間に耐えうるもの、他の何かを生み出して行けるようなもの、そういったものを、足を使いながら、なんらかの形にして行けたらよいなと考えています。

レーベルのサイトはこちらです。
 
 
しかし音楽に最も合った形とは一体どのようなものなのでしょうか。つまり、それを開いた途端にその世界に引き込まれるような、音楽の留め方とは。

── 話変わりまして、
 
最近まで、長い音楽を作りたいと考えていました。 30分?短い短い!という感覚で、長ければ長いほど良く、いくらでも長く演奏できるという曲を作りたかったのですが、突然それが嫌になってきました。もう少し、小さな星のように簡潔に世界をまとめたい、と考えるようになって来ているのです。何にでも反動というものがあるもので・・。ですが、まだどう頑張っても15分以上になってしまいます。今後、努力を重ねて、どんどん短くして行きたい。

Sacrificeはちょうど、「長いが偉い」時代の作品なので、1回の演奏が約30分です。楽譜やCDなどの物理版(デジタル版ではないという意味)には、ボーナストラックとして2曲追加されるので、総再生時間は2時間近くになります。なお、楽譜には演奏時間の指示がありませんので、きっとつまらないだろうけれど、死ぬまで弾き続けることも可能です。
 
どうぞ、灯りを落として、お楽しみください。

2025/01/08

Canto Ostinato

シメオン・テンホルトというオランダの作曲家の「Canto Ostinato」という曲がある。

最低1時間以上絶え間なく弾き続けることや(可能であればいつまででも弾き続けることができる)、進行するタイミングが奏者に委ねられていることなどの目立つ特徴に加えて、私が最も惹かれるのは、長い時間を耐え忍んだ後にたまらなく甘美な情景が突然現れてくるところだ。

Canto Ostinatoを演奏会で1度演奏したことがある。その時の前口上で、私はどの口が言ったのか知らないけれど「この曲は、人生そのものに感じる」と言った。でもそれは本心だった。ちょうど、良く知る人の生の終わりを短期間で2度も見た時だったというのもあると思う。

 「ある小節を繰り返しているうちに、段々と次に進むのが怖くなってくる。今のこの手の中にある音型にやっと馴染んできたところ、また次に進まねばならない、 間違えるかもしれない、もしも止まってしまったら、と。その気持ちのまま次に進むと、失敗する可能性が高い。でもいつまでもここにとどまるわけにも行かない。

練習ですらその恐怖はあり、困っていたのだけれど、ある時ひとつだけそれを乗り越える方法に気づいた。大したことではないのだけれど、とても意味のあることに思えた。

それは、今弾いている小節の「音」にひたすらに集中するということ。変に集中しようとするわけではなく、耳を澄ます。何かが聞こえてくるまで、次に進まなくて良い。そうすると、本当に不思議なことなのだけれど、まるで音の中で自分の姿が消えていくようになる。恐怖はそれで無くなる。もし生きる中で、次に進む恐怖に足がすくんでしまうようであれば、その時は無理に進むのではなく、何かが見えてくるまでとどまることも良いのではないか。」

 もちろん、こんなに長くは話していないと思うが、このような少し重めの事を辿々しく話した。 なんともキラキラしていないタイプの演奏会ですねー

Canto Ostinatoは今でも常に弾くようにしていて、それどころかこのような曲まで作っている。演奏するたびに自分が話した前口上を思い出すのだけれど、今は今でまた違う考えにもなっていたりする。それは、「ほうほうの体でボロボロであろうとも、最後の一足まで前に進んで、倒れる時は前のめりだ」という勇ましいものであったり、「恐怖に飲み込まれてしまうのもまた人生」という諦めモードのものだったり、様々。

本当に面白い曲だ。


2024/11/14

Last Night The Light Came

音楽があまりにも満ちているために静止して見える、心の中の風景。音楽が、今にも張り裂けて怒涛に流れてくるのを待っているような風景。そういうものが、一昔前からはっきりしている。

それは濃紺の闇の中で、目を凝らしていると目が慣れてきて、やっと自分の掌の輪郭がうっすらと白くぼやけて見えてくるような、わずかな光の中にいるような・・そのような視界の世界。絵が描けたらどんなに良いかと思うくらいはっきりとしていて、いつかそれを音楽に表そうと思っている。

あまりにも没入したい音楽のイメージがあると、できるだけそこから目をそらしてしまう癖がある。それはきっと、音に表してしまうことへの躊躇、表した時点で違うものになってしまう恐さから来るものであり、また、美味しいものは最後に食べたいという性分もあると思う。が、あまりに目をそらしている時間が長いので、音楽が遠くに行ってしまったような気がした。

でも、これはスイッチと言えると思うのだけど、ひとたびイメージの中の焦点を「そこ」に合わせさえすれば、何かが湧き上がってくるのをいつも感じる。それを感じると安心する。湧き上がるものをかき集めて、そこから形を取り出すのは片手間ではいかないもので、全身全霊そこへダイブしないと取ってくることはできないと思う。

なりふり構わずダイブしたいものだけど、それ即ち生活がどうでも良くなるダイビングなので、中々飛び降りることができない。大きな問題は、日常生活の中でどう創り続けていくかということなのだと思う。生活と切り離すわけではなく、一枚隔てた場所に、創造の層の存在を意識する、忘れないでいるということ。

ジョージア・オキーフが「人生の中で、喜びは短く、ひと時に過ぎない。大事なのはその合間にある長い時間」というような事を言っていたと思うけれど、それに近いのかもしれない。創造に没頭するのは、たとえ短くとも幸せである。その短い創造の道中、さらに短いひと時の鋭い喜びを感じることはあれど、ほとんどはただひたすらに歩き、止まり、待つのみ。完成に至るまでの道のりは途方もなく長く果てがなく、時に完成しない。

そして、ほとんどは没頭する以前の生活の時間なのである。であるからこそ、心の中にある”層”を常に忘れないことは、本当に大切だと思うのです。

全身全霊ダイブして、生活がどうでも良くならないと音楽って作れないのか?という不満と疑問から、別の角度で音楽を表していく方法を考え出して2、3年ほど。それがとても知的に楽しくて、その方法ならばあらゆるものと音楽を繋げることができる。自力Max/MSP(今では、「ど」が付くほどの定番プログラミングシステム)と言えなくもない。  そのように作っているものが2、3。

だがしかしダイブintoして、自分の中の根に触れるように創る音楽にも、そろそろ飛び込みたい欲望が。何故ならそれが最も心の底の部分を救うから。そのように作りかけているのが、1、2、3、、。そして、こういう作り方をしているときに見る夢というのが非常に面白い。多分脳の使っている部分が違うのだと思う。

2024/06/03

Primavera

 

Ludovico Einaudi “Primavera”。3年前の演奏会のアンコール(連弾)の録音です。簡易的な録音の上に、ピアノの調律がなかなかトリッキーでして、顔をしかめる方がいても仕方のない音です。ですが、この録音は私にとっては特別なもの。単に記録として録ったもので、誰かに聞かせるつもりはなかったのですが、あの時忘れずに録音ボタンを押した私を胴上げしてあげたい。

この日は友人との2人演奏会でした。最後にアンコールで連弾をしようという話になったは良いが、合わせる時間もなく、当日のリハーサルで短時間だけ、何となくお互い遠慮したり苦笑いしたりしながら、何とも手応えのない合わせをしました。

私がprimo(高音部)担当でしたので、友人は「小西さんに合わせるから好きに弾いてね」と言ってくれたものの、その言葉を信用せず(ごめん)、本番も全く好きに弾くことは出来ず、それが音に如実に表れています。恐々としていて、どうにも硬い。好きに弾くには、ある程度、いや相当、鍛錬が必要なものです。ましてや連弾ですから。

この演奏が特別なのは、再現が不可能だからです。もう二度と起こることのない、音のように消えていってしまったものです。記憶だけがあって、それもまた薄れていきます。なのでせめて、ここに。

こんなに哀しい曲調で、Primavera(春)というのが、にくい。

2025年4月10日 追記
Einaudiは、春に哀しさを感じていたのだろうか。私にはとても共感できる。そして人間に「泣く」事ができて本当によかったと思う。涙するのはいい事だ、心の芯に何かが触れたという事だから。

2022/06/02

Photo Session

 



Photo by Masafumi Sakamoto

長きにわたって写真を撮っていただいている写真家の坂本正郁さんに、4年ぶりに写真を撮っていただきました。ジュエリーは、幼馴染でアーティストの森口真千子さんの作品です。


2021/05/19

Still Space



人生を通して特にアンビエント・ミュージックの作品をよく聴いてきた訳でもなく、アンビエントというものが結局どう言うものなのか、分からずにいます。単に「空間的な感じの、PAD音が中心にある心地よい音楽」と言うだけではなかろう事はわかるのですが・・・
 
しかしアンビエントとは何なのか分からずして「アンビエント的な音楽を作っています」と自己紹介している昨今、その行為自体がアンビエントだ!と思い、少しは自分なりにアンビエントに向かい合ってその姿をしかと見つめてみようと思い立ったのがここ数日。

ふと、ピアノ特殊奏法のワークショップの先生に教えていただいた芦川聡さん(先生と非常に親しかったそうです)の作品を思い出し、改めて彼の名曲 ”Still Space" を聞いてみました。

 

 ・・・・・・・ 


時が止まる思い。どうでしょう、この音楽の儚さは。

ひとこと、またひとこと、心に秘めた話を聞かせてもらっているような。。寂しさや哀しみがどうしようもなく溢れてきて、そのまま音として置かれていってしまったような。

この音楽を聴いていて思い出すのは、娘が3歳くらいの頃のことです。

夕暮れ時に、公園遊びを終えて家に帰る途中、自転車に乗りながら娘が突然、「ママ、死なないでね」と言ったのです。びっくりしましたし、不吉なこと言う子だな・・と思ったのですが、それより何より、なぜそんな事を言ったのか不思議でした。

後になって、きっとあの時初めて「寂しさ」ひいては「死」を感じたのではないかな?と想像しています。

夕暮れの寂しさと、静けさと、自転車に乗るママと自分、いつかは無くなってしまうもの、、それらがきっかけになって、どうしようも無い寂しさを心で感じたのではないかな、と。

あの時の空気、それをこの”Still Space"と言う音楽にそのまま感じます。

あの瞬間に娘と私の周りにあった空気そのもの、空気全て、です。

消えてしまうもの、寂しいもの、そして今はまだ有るもの。芦川さんの音楽から、無くならないでほしい寂しさをどうしようもなく感じています。願わくば、そこに静止していてほしい。

 結局、アンビエントというのは何かという探求はやめにして、芦川さんの音楽を理解することに時間を使いたいと思います。

2020/09/18

Recent MINGUSS

 




前回の投稿からはや1年ですか!様々な事が起こり狂っているこの世の中ですが、ひとまず風邪すらひくことがなくなり、元気です。

 今、私は黄昏の時を生きているのではないか、と先日箱根を走る車窓からふと思いました。星新一の「黄昏」というショート・ショートが凄く好きであると同時に恐ろしく、今まさにその世界を生きている気がしてなりません。ご存知ない方はぜひ、読んでみてください。そんな黄昏の中で、できることとは。大切なこととは。もうそんなに多くありません。より良き道を歩もう。

お知らせとしては、今年3月にCHANELエンゲージメントリングのムービーに、風のような一瞬の音楽を制作しました。お見知り置きをください。いくつかのキーワードをもとに音楽を制作したのですが、それが物凄く楽しかった。音楽を作る際に、一番拠り所にしているのが言葉であるので、それをいただければいくらでも旅をしていけます。

去年から引き続きピアノの特殊奏法のワークショップに参加しており、今後はピアノ演奏にも力を入れていきたいと思っています。

2019/10/15

Mo Cara


The Farthest Desertをリリースしてから早1年ほど経ちますが、最近はもっぱら現代音楽の講義や、ピアノの特殊奏法の講義などに足繁く通い、相変わらず対位法の初歩を細く長く続けております。

何を目指しているのかというと、もちろん次の作品です。長い時間をかけて取り組みたいテーマがあるのですが、今までの方法ではどうしても微妙さが足りないと言うか、、。かと言って学んだ技法が役に立つと思っているわけでは無いのですが、何か1ミクロンでもヒントが転がっていまいか、と鉱山を掘っております。

同時に、もうそろそろリリースにまつわるイベントを考えています。日を追うごとに時間の感覚が長くなり、実現するのは早くても2020年度の予定です。リリースしたものをどのように演奏するかというのは、いつも悩みの種、そして次の段階への種であるので、ここはじっくりと、、。構想としては楽器を中心に、The Farthest Desertが新たなものに変化してゆく過程のような演奏を計画中です。

さて、私は常日頃ピアノを中東の楽器のように鳴らしたいと思っているのですが、そのきっかけとなった人物、私のヒーロー、謎に包まれた演奏家であるMichael O'sheaのトーク&演奏動画を見つけて、その実演に感動すると同時に、人物像に多少動揺しております。は・・歯が・・!そして、耳にバチを突っ込んでゲラゲラ笑ってる。。。かなり想像とは違う方でしたが、それは私の勝手というか、この映像が全てというわけでも無いので、そこはおいておいて、演奏はやはり凄い!永遠に聞いていられる。きっとO'sheaの頭の中の音が全て溶け出しているんだろうなあ、と。動画中、耳にバチを突っ込むのは冒頭と、2分33秒頃、演奏は2分54秒くらいから。

 O'sheaのオリジナルの楽器、"Mo Cara"をどのように鳴らしているのかものすごく知りたかったので、嬉しい。この手法はピアノにも使えるのでは無いかと思うのだけど、やはり弦を鉄(?)のバチで叩いたときの複雑で幽玄な響きは、ピアノにはちょっと出せないのかな。永遠に手の届かない、憧れの音があるって、良いですよね。格好良い、憧れの音楽家です。

*残念ながら動画は見られなくなってしまいました。ご想像にお任せいたします。

2018/11/26

"The Farthest Desert"


4枚目となる新作のアルバム"The Farthest Desert"を、12月12日にリリースします。

今回は民族音楽やミニマルミュージックに触発されながら、サックス2本をどう使うか、リヴァーブによって陰影を描くにはどうすれば良いか、自分の弾けるピアノはどのようなものか、そしてスムースに時間をかけて音楽が変化して行くには、、など今まで出来ていなかったことに取り組みはじめた作品です。

メインのサックス奏者は、中村哲さんと新井一徳さん。ゲスト・ミュージシャンにマニュエル・ゲッチング、アルノルト・カサーを迎えています。

マニュエル・ゲッチングさんは、そっくりさんとかではなく、ご本人です。2年前からオファーをし、ついにはベルリンまで交渉しに行って、最後はお地蔵さんにお願いしまくり、叶いました。「念ずれば、現ず」。お地蔵さん効果に驚いた私は、以来友人が出産を控えていたりするとお地蔵さんにお祈りするようになり、また最近はベルリンに家族で住みたいと念じています。コツはだいぶ具体的な事を祈る事かな。実は自分に言い聞かせてる、って事もあるし……って、なんの話でしたっけ。

そう、マニュエル・ゲッチング先生について。

何年も前のある日に聞いた「New Age of Earth」に「私が聞きたいとずっと願っていた音楽そのものだ」と感動し、彼の音楽を研究しまくり、もしかしたら街ですれ違えるかもしれないとベルリンを旅した日(もちろんすれ違いませんでした)が懐かしいような、必然だったような、、、自分で巻き起こして行く事って、未知数ですね。だめでもともと、当たって砕けろ、ピンと来たら行動、が良い結果につながった例です。

コ・プロデュースにヒロシワタナベさん。Hiroshi Watanabe a.k.a. Kaitoさんです。師匠、友人、兄?、その全てのような、、とにかく、ヒロシさん無くしては今の私はいませんし、今回も最後までたどり着けませんでした。曲ごとに具体的に、または抽象的に、全体的な流れをアドバイスしていただきました。

プロデュース、作曲、ミックス、ゲストミュージシャン以外の楽器は全て私です(よくがんばったね!)。
 
こちらで部分的に試聴可能です。

ブックレットは20P。日本語/英語にて、私による序文と旅行作家である田中真知さんが書き下ろしてくださったエッセイが掲載されています。ジャケットと、ブックレット内に掲載されている砂漠の写真は、田中真知さんによるものです。

また今回はパッケージデザインをShun Ishizukaさんが手がけてくださいました。非常にキレる方で、ほぼ自由にやっていただきとても素敵なものが出来あがりました。ピンとくる人/できる人には丸投げ、の信条は良い結果を招く。デザインの力は本当に凄い、ということを思い知りました。

DISK UNIONTower RecordsHMVAmazon (敬称略)
現在、上記のお店でご予約承っています。

どうぞお手にとっていただけたら幸せです。

2018/11/03

末吉保雄先生を偲んで - If I have seen further it is by standing on the shoulders of Giants



「私がかなたを見渡せたのだとしたら、それはひとえに巨人の肩の上に乗っていたからです。−アイザック・ニュートン


 2018年8月20日、作曲家の末吉保雄先生が永眠された。

25日ごろ、知人のツイートで気になるものを見かけたので、試しに「末吉保雄」と検索をかけてみた。「末吉保雄さん、死去」と言う記事が目に入り、瞬時に思考が止まった。……。ちょうど2週間後にレッスンをひかえており、あわただしい日々の中ではあるけれど、ちゃんと課題をこなさねば!と机に向かった夜の事だった。突然、どこかに、身体ごと放り投げられたような気持ちだった。ついひと月前に先生が課題に書き込んだ文字が、音符が、まだ、生きているのに。。突然の終わり。そんな…まさか、なぜ?…と。重々しい扉が、目の前で閉じてしまったような気がした。今でも、とても悲しい。

末吉先生に初めて出会ったのはおそらく高校2、3年の頃のこと。ピアノ科の生徒であった私は、あまりピアノに熱心ではなく、お師匠さんに「あなた作曲に興味あるなら作曲科に行ったら?」と勧められ、和声を作曲科の先生について勉強していた。次第に「作曲なら芸大にいけば?3年は浪人するだろうけど。」となり(今思えばずいぶん安直だ!)、芸大の受験ならば末吉先生が良いと言う事で紹介してもらい、先生につくことになった。

先生のお宅に初めて行った日のことは良く覚えていない。そして実はレッスンの内容もあまり覚えていない。先生のメモが鉛筆でたくさん書いてある和声や対位法の本だけが残っている。宝物はあとになってやっと気がつく。先生が亡くなった今、私に先生のひとことひとことが、やっと芽吹いてきている。なんでもっと早く気づかなかったのだろう。あの頃気づいていれば。

高校時代、私は芸大受験どころかジャズにはまり込み、先生に「本当はジャズの勉強をしたい」と申し出た。末吉先生は、15、6の娘の興味本位(もちろん当時は本気だった)に呆れるでもなく、親身になってくださり、学校を調べたり、アドバイスをしてくださった。先生のことを慕って20年近くあとにまた再び門を叩いたのは、実はこのことがあったからなのだ。先生が、音楽を表面上で分け隔てることのない、厳しく誠実な真の音楽家であると、高校生ながらにわかっていた。

2016年、私はクラブ・ミュージックに傾倒し、クラブに通い、随分と研究をして自分なりに模倣して音楽を作っていたが、 どうしても自分の理想とするものの形と自分がやっている事の違いから目をそらすことができず、理想に近づく方法が知りたかった。答えなどないのはわかっているけれど、何かきっかけ、ヒント、、そういうものが欲しかった。その時、末吉先生の事を思い出した。先生ならば、全く違う世界ではあるけれど、私の言いたい事を理解してくださるだろうし、何か大きなヒントをくれるに違いないと思い、再び門を叩いた。

20年ぶりに会う先生はちっともお変わりなく、私のことを「君は昔ジャズをやりたいと言っていたよね、良く覚えている。だから今回、君が音楽について相談があると言って手紙をくれた時、すぐに思い出したよ」と笑顔で迎えてくださった。リリースしていた"night of the vision"を献呈し、自分の今考えている事、どうしたら良いか悩んでいる事、本当は何を理想としているのか、時間をかけて全て打ち明けた。先生は思いもよらないアドバイスをくださった。その時すぐにでもレッスンを再開しなかった事を、とても悔やんでいる。しかし私はそれを選ばなかった。作りかけている音楽があったから、それを完成させたら、先生に再び対位法、ひいては作曲そのものをいちから習おう、と決めていた。

それから1年後、現在リリース準備中の音楽もほぼ完成して、やっと勉強する時間も取れそうだという事で、再び先生に対位法や記譜やオーケストレーションを勉強したいと伝えた。先生は大変喜んでくださり、「あなたがお子さんを育てながら勉強したいという事、とても尊敬します。」と励ましてくださった。2018年があけたばかりの事だった。

それから、思えばたった6回…しかし一生の宝である6回のレッスンを受けた。

小さい子供を育てながらだとやはり思うように課題がこなせず「来月は少し課題が少なくなるかもしれません」と言うと「構わないですよ。何も課題に赤を入れるだけがレッスンじゃない。伝えたいことはたくさんありますから。」と仰ってくださった。私も、先生に何から何まで音楽の話を聞きたかった。もっと、たくさん教えて欲しかった。私は、巨人の肩に乗っていたのだった。自分の力では見渡すことのできない、音楽の平原を、先生の肩の上に乗ることで、見ることができていたのだ。今は、再び自分自身に戻ってしまった。少しだけ見渡せた平原は、あまりに深く広く果てし無く、私はもう音楽のことなど何も知らないこどものように感じる。これが、正直な今の気持ちなのだ。

「僕は、ジョスカン・デ・プレが一番凄い作曲家だと思っていてね、彼のような作曲家はもう出てこないとおもっている。夏の夜に、山小屋かなんかでジョスカン・デ・プレの楽譜をよみながらビールでも飲めたら、とても幸せだなあ」

先生の言われた言葉を思い出せるだけ思い出して、探って、果てし無く探って、ひとりで行くしかない、と。悲しいけれど、もうそれしかないのだ。

2018/05/25

the nameless place

Photo by Rachel Sussman

何年か前、ドレスデンに住む大切な友人を訪ねた時、画家であるパートナーの女性がまるで当たり前の事のように、私の為に描いた油絵をプレゼントしてくれた。心のこもった創作物を突然頂いた事にも感動したが、そこで初めて絵画を始めとする「形ある芸術」と「音楽」の違いに気づき、創作者自身によるものは世界にただ一つしか存在しない芸術はなんて素晴らしいのだろうと、ほとんど憧れに近い感情を持った。

音楽を形にするには楽譜や録音媒体など何らかのメディアに留めるしかないのだけれど、そうではなく、もしも…その場所に行かなければ絶対に耳にする事の出来ない形の音楽、その場所に行きさえすれば自ずと聴こえてくる音楽があったならば、と想像する。

音楽家がその場で演奏をする、それは確かにその場所に行かなければ聞けないあらゆるものがそこにあるのだけれど、そうではなくて、あくまで演奏されるのはその「形」によって、であるもの。途方もなく無名で、辺鄙なところにある、何千年も生きてきた古い樹のような音楽、、、夢のようなお話だけれど、そういうものがあったら、創れたら、と思う。

上の写真は、私が以前からとても心惹かれているレイチェル・サスマンという写真家のプロジェクトの「世界で最も長寿な生き物」に登場する、ウェルウィッチアという原始的な針葉樹(!)。ナミビアとアンゴラにのみ自生するそうだ。数万年前に北アフリカで起こった洪水によって運ばれてきて、砂漠に適応するようになったと考えられているそうだが・・・まさに、この樹のような音楽があったら・・・!果てしのない理想ではあるけれど、名もなきカリブー、名もなき樹、(彼らには名前があるのかもしれないけれど)それらに少しでも近づけるように、音楽を創って行きたい。

2017/10/12

recent photo session


Photo by Masafumi Sakamoto

Above is the outtake from recent photo session for the coming album. The next album will be deeply inspired by the photo book "L'EGYPTE" by Keiichi Tahara. Inspired by the light, the texture feeling of stones and sands and the timeless mood... I try to represent the mood especially  the texture of stones and sands by using saxophone sound. Please wait the release information..

次回作のために6年ぶりに写真撮影をしました。今回も、写真家は坂本正郁さん。というか私は坂本さん以外にアーティスト写真を撮って頂いたことはありません。少し、いやだいぶ近づきがたいオーラを放っていらっしゃるお方ですが、なんとなく色々と突っつきたくなる素敵な人物で、私はかなり得意(?)。メイクは、音楽高校・大学と同級生だった弘山はるえさんにお願いしました。

次回の作品(音は8割がた、完成しています…)は、そもそも砂の質感をサックスで表現したいというテーマがあるのですが、その始まりは田原圭一さんという写真家の方の"L'EGYPTE"という写真集を見たことから。

エジプトの遺跡を写した写真集なのですが、遺跡の一部をクローズアップしたものは目で石の手触りが感じられるようで、そのザラついたような感触を音にしたいと思いました。また、光と影が非常に物語を語っていて…時間が吸い込まれるような世界観があります。

この憧れの思いは未だに変わらないですし、もっと言えば今回の作品ではそれは存分に表せなかったので、また未来に再挑戦したいと思っています。それにしても、その写真集は砂を撮影したわけではないのに、いつの間にか私の中で砂に変換されてしまい、それがサックスの音色につながっていったようです。頭の中のリンクって面白いですね。

完成を気長にお待ち下さると、嬉しいです。

2017/04/17

Animals of the North


現在、レコーディングを重ねながら次回の作品となる音楽を試行錯誤の構築中、やっとだいたいの姿形が見えてきて、制作方法も固まってきました。ここまで来るのに、のりしろ部分含めて6年はかかっているな…千里の道も一歩から、完成までにどれくらいの時間がかかるかあらかじめ知ってたらやりたくなくなるってものですね。まあ普通はこんなに時間をかけるヒマな人はあまりいないと思います…いやいるかな?私はとんでもなくノロノロ作っているだけなのです。誰にも急かされないばかりか、むしろ「ゆっくり作りたまえ」と言われる事しかないので、さらに遅さに磨きがかかります。娘も小さい事だし。

遅い事にはそれなりにいい事もあるのですが、今は早く完成させたい!…というのは、心が少しずつさらに次の作品のテーマに向かっているからです。この、心に未来を感じる次なるテーマが浮かんだ時こそが、一番楽しい。

テーマについて。それは、かなり雑な言い方をすると「動物の移動」です。わくわくするでしょう(しない?)。特にカリブーの移動に惹かれていて、これはもうずばり星野道夫さんの影響です。音楽家としてこのテーマをどう形にするか、考えるだけでもゾクゾクします。(しない?)…とはいえ目ぼしい手がかりはありません。ひとまず極北の動物に関する本を読んだり、そういう記事を集めたりしています。

「低く唸るようなカリブーの鳴き声が聞こえてきた。
カチカチカチカチと奇妙な足音も近づいてきた。
それはカリブーの足首の腱の鳴る音だった。
私たちは河原に伏せながら、そのかすかな音に耳をすませていた。
不思議な足音はどんどんと迫り、
カリブーは一列となって私たちのすぐ隣を通り過ぎていった。
自然の気配を何一つ乱さなかった快感があった。
私たちの姿だけが消え、
人間のいない世界に流れる秘かな自然のリズムを垣間見たような気がしていた」

星野道夫

この文章に全てが詰まっています。やっぱりもう、音楽にする必要ないや。

そういうわけで、今現在制作中の作品も、今年中か来年半ばまでには手を離れるかなと思っています。そう、私の中の「早い」は1年後なのです。

2016/10/09

beginning of the next


先日、次回の作品へ向けてのレコーディングを開始しました。

出産後1年2年は音楽のことを考える余裕もありませんでした(シンセ類やAbleton Liveの操作方法もすっかり忘れていたほどです)が、ここ1年はしぶといというかなんというか、出産直前に温めていたアイディアが消えることなく再び浮かび上がり、しかも程よく熟成されていて形に出来そうな兆しが見えてきたので、少しずつ下書きを溜め込んでいました。

今回はサックスの音、それに感じる質感やイメージを軸に声やピアノやその他の音色を使って作品を作ろうと思い、以前リリース後のライブで何度もご一緒させて頂いたサックス奏者の中村哲さんと新井一徳さんの音を素材として録ることから始めました。最終地点までどのようにいくか、その過程は手探りです。

Jeff Millsは、より多くの作品を早く作るためには「システム」が重要だと言っていました。その言葉に、素直にショック!自分に足りないものが何なのかといえばシステムそのものではないかと初めて気づき、もう多作に憧れるのは止めようと思いました。諦めは良い方です。私の音楽作りの過程はシステムも雛形もなく、想像だけを頼りにゼロから始めているので、毎回途方もない時間がかかります。本当にそれが嫌で嫌で・・・(笑)今回の録音過程で、少しでも自分のシステムが出来上がればと思います。

また、今回は発表する際に音楽の域だけではなく他分野の方と協力出来たらと考えています。こちらの方はまだ歩みだしてはいませんが、音がもっと形作られて来たら始めて行くつもりです。

それにしても、先日録音したサックスの音は私にとっては膨大な情報量!!これをどうするのだ。いくつか方法は考えていますが、、まあ誰にも急かされていないので、慌てずにやります。次回のレコーディング、年内に出来るかな・・・。

2016/07/08

lunuganga


今最も惹かれる場所、今すぐ行きたいところはと聞かれたら迷わずスリランカ、と答える。(以前はアラスカと答えていた。もちろん、アラスカは今でも行きたい。)もっと言えば、熱帯建築家ジェフリー・バワのホテルへ行きたい。そもそもは、BSか何かでジェフリー・バワの建築を柴咲コウが訪れるという短い番組を見て、そのインド洋を臨む「ジェットウィング・ライトハウスホテル」の激しさに度肝を抜かれてしまったのがきっかけだ。


こちらがそのホテルの代表的な景色なのだが、番組の中ではちょうどこの場所の収録の時に天気が悪かったようで、物凄く海が荒れていた。風が吹き荒れ、空は灰色で、海も灰色。でもそれが感動的なまでにエネルギーを放っていて、ホテルの洗練された空間との対比が最高に格好良かった。しかしどの本を見ても、この場所は上のように青い海をバックにした写真しか探すことができない。いずれここに行く時は、ぜひ海に荒れていてほしい。

一番上の写真は、「ルヌガンガ」というバワが作った理想郷。バワの邸宅でもあり、泊まることも可能。特にバワ建築に泊まる事に欲望はないが(むしろ、自分のスーツケースをあの素敵な空間に広げたいとは思わない)自然を「取り込む」と言うより、そこに巨大な岩があったらそのままにして周りに廊下を作ってしまうような豪快さを体感してみたいと思う。

結局、岩や樹木や空、海の美しさ、強さに対抗しうるものはないのでは、と思う。どのような建築も。それらをどう縁取るのか、どう動くのか、そしてそれらから身を守る小さな空間をどう造作するのか、という事なのでは。そういう考えを巡らせる事は、音楽を構成する上でとても重要だと思う。

それよりなにより、「ルヌガンガ」という響き、美しい。湿気と静寂を帯びたこの言葉の音楽を作りたい。