2025/12/20

farness

Photo by Sarah Moon
 
この夏、写真家のサラ・ムーンさんの作品を初めて目にする機会がありました。和紙にプリントされた作品なのですが、とても不思議な展示の仕方で・・・思い返しての印象なので間違っているかもしれませんが、プリントされた繊細な和紙の上部のみをセロハンテープみたいなテープで無造作に留めてヒラっとした状態のものが、そのままケースの中に静かに収まっているような感じでした。和紙の裏側にも空間がある、その光の感じも相まって、一つ一つの作品の余白感が未だに心に残っています。

何が良いかというと、その存在感の「遠さ」。中でもひとつ飛び抜けて印象的な作品があり、このように音楽を「遠さ」を持って扱えば良いのかとヒントを得たのですが、いくら検索しても出てこない。写真展にもう一度足を運ぶしかないです(ちょうど今京都で開催されているようなので)。目を瞑らずとも心に浮かぶほど、詩情を感じる作品でした。もう一度見たい・・・でもこの残っている「印象」こそ鑑賞して得たものなのだろうから、もう見なくていいのかもしれないけれど。

「遠さ」と言うのは、音を扱う/音楽を作る際に、私の中でも近年とても気を使っていることのひとつです。音だけではなく、時間─つまりリズムやなんかも・・ヴェール越しに触れる・見るように、直接は届かない遠さで、曖昧にしたい。あからさまに境界を区切りたくない。例えばある和音があるとして、それをそのまま出したくはない。その左右前後を、曖昧になるように「遠さ」という「霧」で包みたい。ただし、その「霧」は隠すべきものと同じ素材を使うのが良いと思うし、何かを加えて覆い隠すことだけが方法ではないかもしれない。などなど。この答えのない、曖昧な考えを混沌と深め始める時が、至福の時間です・・・・。

そのようなことを考えていた時、作曲家の近藤譲さんがある講習でまさにその「曖昧にする」具体的な考えをお話しされていたことを知りました。それはもう明確な方法を持って試行錯誤されています。その内容はこちらで。曰く「曖昧にするには、きっちりとやらなければ、ちゃんと曖昧にならない」と。格好良いッッ・・・・・・・・。

今日は冬至ですね。私の一番好きな日で、私個人は今日が年明けです。明けました。
→22日でした。まだ明けてません。

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