New Release: Sacrifice

2025/06/27

laissez vibrer

 

先月 Stone Music(元タージマハル旅行団の長谷川時夫さん率いる、電子即興音楽バンド)に参加しましたご縁で、主催のMIMINOIMIさんのポッドキャストにMix音源を提供しました。

「インスピレーションの赴くままに作ってください」というご要望でしたのでそのようにしたかったのですが、ちょうどお話をいただいた時期に急性膀胱炎にかかり(人生2度目だが、1度目より数倍ひどく死ぬかと思った。初めて血尿も出た。わたくしの膀胱のエコーを見て、ダンディなお医者様が「かわいそうな膀胱!」と嘆くほど。特に女性はお気をつけください。疲労と睡眠不足と冷えに要注意)、2日後に責任のある発表会を控えていたのでBOKOENを2日で死ぬ気で治さねばならぬ、という渦中でしたので、インスピレーションどころか・・身体的には地獄でした。超人的な膀胱だったのでしょう、めでたくきっかり2日で治りました。良い子。まあ、水分を飲みまくって痛みを堪えて出しまくったということです(ごめんあそばせ。でもこれが治る近道)。

そういえば数年前にCHANELのwebムービー用の音楽を依頼された際も、娘と共にマイコプラズマ肺炎か何かにかかり、受診させたり受診したりしながら死ぬ気で作り上げた記憶があるな・・・そういう時のくそ力だけはあるのですねえ。

というような、ものすごく気合の入ったMIXです。簡単な解説とトラックリストはこちらです。

In the correspondence collection “Sound, Language, Human” between Junzo Kawada and Toru Takemitsu, anthropologist Kawada writes that while listening to Mozart felt oddly out of place during his time living in tropical Africa, he was deeply moved by how Takemitsu’s November Steps did not clash with the sounds of birds around him. This comment left a strong impression, as it seemed to suggest a new way of thinking about how music is received and perceived.

Since then, I began to wonder what kind of music can “coexist with natural sounds without canceling each other out.” That led me to discover a unique book titled The Orchestra of the Wild, which showed me that natural sounds themselves are diverse, rich, and complex—forming a sonic field in which each sound enhances the others.
Incidentally, I personally regard Toru Takemitsu as an extraordinary composer who used Western instruments to create music that resembles the intricacy of natural soundscapes. Especially notable is how he achieved this even with the piano, an instrument whose pitch cannot be adjusted—something that speaks to his remarkable ear.

Based on these experiences, I became interested in how music sounds when placed alongside natural sounds, and created this mix around that theme. It combines pieces that seem to blend naturally into the environment with others that demand focused listening on the music itself.

川田順造と武満徹による「音・ことば・人間」という往復書簡集の中で、文化人類学者である川田氏が「熱帯アフリカでの生活の中でモーツァルトを聴くと妙に白々しい感じがするのに対して、武満さんの『ノヴェンバー・ステップス』は鳥たちの声が邪魔にならなかった事に感銘を受けた」と書いていた。音楽の「聞かれ方」への新しい方向性を示しているようで、鮮烈な印象を受けた。


それ以来私は「自然音と共にあってもお互いを打ち消し合わない」音楽とはどういうものかと考えるようになり、「野生のオーケストラが聴こえる」というユニークな本に出会う事によって、そもそも自然音自体が多様で豊かで複雑に在り、お互いを生かし合う音響体であることを知った。ちなみに、武満徹は西洋楽器を使用して非常に複雑な自然音のような音楽を作り上げた素晴らしい作曲家だと個人的に思う。特にピッチを調整できないピアノでそれを成し遂げている事に、氏の耳の良さを思わずにはいられない。


以上のような経験もあり、自然音と共にあると音楽がどう聞こえるかに興味を持ち、それをテーマとしてmixを作った。より本来的に聞こえるものと、反対に集中して音楽そのものを聞きたいものとが織り交ざっている。
今はあまり多くの音楽は聞かず、曲そのものを演奏する事でその音楽を知るという事が多いので、ピアノ曲を多く選ぼうと考えたが、結局は昔から好きなものなどが入り込む混沌としたものになった。

- Tracklits -
1.Sacrifice-The Last Dialogue:Mami Konishi /Guitar:Takeshi Nishimoto
2.Musica Callada:Federico Mompou /Piano:Yuji Takahashi
3.STILL LIFE:Hirokazu Hiraishi /Piano:Satoko Inoue
4.Souvenir:Christopher Butterfield /Fortepiano:Katelyn Clark, Piano:Luciane Cardassi
5.Memories Of Green:Vengelis
6.La Déploration De Johannes Ockeghem:Josquin Des Prez /The Hilliard Ensemble
7.Ocean Of Tenderness:Ashra
8.Noa Noa:Kaija Saariaho /Flute:Camilla Hoitenga
9.Whites SS:Gavin Bryars
10.Funeral:Joni Mitchell-Mingus
11.In Liebe dein:Hans-Joachim Roedelius
12.Lucky:Joni Mitchell-Mingus
13.The Wolf That Lives In Lindsey:Joni Mitchell
14.Night Signal-Signals from Heaven II:Toru Takemitsu /London Sinfonietta
15.There is no one, not even the wind…:John Luther Adams
16.Kronstorfer Messe WAB 146 I. Kyrie:Anton Bruckner
17.Still Space:Satoshi Ashikawa

Background Nature Sound/ Borneo:Takeshi Mizukoshi

-Selector-
Mami Konishi 

補足としては、「自然音」をそのまま自分の創作した音楽に使うということは、あからさまにリラクゼーション的な目的や要望がない限り、今の私にとっては好ましいとは思っていません。風なら風を、雪なら雪を表すために、自分の持てる/想像できる限りの音の中から音を探す─正しい言い方ではないと思いますが「努力」が、音楽を作る意味、、だと考えているからです。

2025/03/20

Sacrifice

 

 
 
リリースをして1ヶ月と少し経ちました"Sacrifice".
試聴用の一部ではなく全曲を通して公開しましたので、どうぞお楽しみください。

ScorebookCDは、それぞれに違う味わいがあります。
あわせてどうぞよろしくお願いいたします。

2025/03/11

Nude Descending a Staircase

Marcel Duchamp

音楽を作ることに関して足りないことを考え出すとキリがない。持てる道具で作るしかないのだとはわかっているが、いつまでたっても、むしろ、やればやるほど満足ができない。

「作曲する」という行いは、どこからどこまでを指すのか分からないし、決まった作り方も、最終的にどうやって曲ができるのかも、明らかではない。まるで霧の中から現れたようにも思える。

今までの大まかなやり方としては、簡単な譜を書き、言葉を書き、ソフトウェアで鳴らし、自分を律しながらそれらを構築する。段々と律せなくなってきて(抗えない情熱に負ける時)、その時々の思いつきや偶然や空耳(この「空耳」がヒントになる時が多々ある) によって想定外の音が加わり、混沌に混沌を重ねてゆき、全くよく分からないものになっていく。そしてある程度煮詰まると、混沌から上澄みが見えて、だんだんと絵になってくる。

・・大抵このような道筋をたどっているのだが、この時点でいつもは完成とさせていたものも、今では何かが足りない。どう見ても聞いても、できたものは「質感のない、平らな絵」でしかないと感じてしまうのだ。起こる出来事やサウンドは、それなりに美しいと思えるものであっても、肉体を通ったものではないのだ。

それは、「ソフトウェア上で組み立てられた音であり、空気を通していない音であるから」ということとは次元の違うことなのだと思う。 例え全てがデジタル上であっても、「そのもの」としか感じられないものもあるはずだ。私はきっと「絵」から「肉体」にする術がまだわかっていないのだ。そのことに気づき始めた、ということが救いではあるのかもしれない。

私は「音」に、まるでそこにあるもののように触れたいのだ。

写真は内容とはほとんど関係のない、マルセル・デュシャン。私の中では全てがとても密接に関わっているので、唐突にご紹介。トイレの便器で有名。墓碑銘が”D’ailleurs,c’est toujours les autres qui meurent.”(「さりながら死ぬのはいつも他人ばかり」)。

2025/03/04

r-h-y-t-h-m

Photo: Eliot Porter

 一定の音や音像が常に続いていると、やがてそれは聞こえなくなってくる。どこでそれが途切れるか、無くなるか、ということがとても大切な点で、有ったものが消えることによって周期が感じられて、それがリズムになる。複雑に書き込まれたリズムがリズムというわけではないのだと思う。ちなみに、複雑なリズムが書けない上に、読むのも超億劫だ。演奏者に計算をさせるでない(小声)。さらにちなみに、複雑なリズムを書ける人々、緻密に再現できる人々を尊敬している。

つい先日、高橋悠治さんの完全フリーのセッションを偶然聞く機会があったのだけれど、高橋さんの演奏は、リズムの塊だったように思う。常に鍵盤の上にグルーブしている何かが息づいていて、その周りで演奏されているように感じた。その中心からどれだけ離れるか、またはその中心にタッチするかの塩梅が絶妙で、グルーブの形まで見える様だった。もちろん、響きや選ぶ音、指の鍵盤への触れ方、相手との対話の距離など、すべてが達観されているものだったけれど、それに加えて一番感じたのがリズムの妙だった。

「写真」にもリズムがあるという。Eliot Porterを見た瞬間に「リズム、かくたるや」と髄で感じた。どの写真を見ても完璧に美しくバランスが取られていて、ただの石とかシダとか葉っぱなど、全体の中のそのものの、一番すばらしい時を見せてくれる。私が少しだけ自然の中に入っても、ついぞこのように見えたことがない。

2025/02/28

New Release: Sacrifice


 
公式のリリースは2018年以来7年ぶりですが、「Sacrifice」という音楽と、その楽譜(アートブックのような)をリリースしました。楽譜にはCDが付いています。

Bandcampおよびオンラインショップで購入可能です。

リリースに伴い、素晴らしいもので埋め尽くすための簡素な小屋(レーベル)も建てました。音楽的に感ずるものならばなんでも・・・学びになることや、時間に耐えうるもの、他の何かを生み出して行けるようなもの、そういったものを、足を使いながら、なんらかの形にして行けたらよいなと考えています。

レーベルのサイトはこちらです。
 
 
しかし音楽に最も合った形とは一体どのようなものなのでしょうか。つまり、それを開いた途端にその世界に引き込まれるような、音楽の留め方とは。

── 話変わりまして、
 
最近まで、長い音楽を作りたいと考えていました。 30分?短い短い!という感覚で、長ければ長いほど良く、いくらでも長く演奏できるという曲を作りたかったのですが、突然それが嫌になってきました。もう少し、小さな星のように簡潔に世界をまとめたい、と考えるようになって来ているのです。何にでも反動というものがあるもので・・。ですが、まだどう頑張っても15分以上になってしまいます。今後、努力を重ねて、どんどん短くして行きたい。

Sacrificeはちょうど、「長いが偉い」時代の作品なので、1回の演奏が約30分です。楽譜やCDなどの物理版(デジタル版ではないという意味)には、ボーナストラックとして2曲追加されるので、総再生時間は2時間近くになります。なお、楽譜には演奏時間の指示がありませんので、きっとつまらないだろうけれど、死ぬまで弾き続けることも可能です。
 
どうぞ、灯りを落として、お楽しみください。

2025/01/08

Canto Ostinato

シメオン・テンホルトというオランダの作曲家の「Canto Ostinato」という曲がある。

最低1時間以上絶え間なく弾き続けることや(可能であればいつまででも弾き続けることができる)、進行するタイミングが奏者に委ねられていることなどの目立つ特徴に加えて、私が最も惹かれるのは、長い時間を耐え忍んだ後にたまらなく甘美な情景が突然現れてくるところだ。

Canto Ostinatoを演奏会で1度演奏したことがある。その時の前口上で、私はどの口が言ったのか知らないけれど「この曲は、人生そのものに感じる」と言った。でもそれは本心だった。ちょうど、良く知る人の生の終わりを短期間で2度も見た時だったというのもあると思う。

 「ある小節を繰り返しているうちに、段々と次に進むのが怖くなってくる。今のこの手の中にある音型にやっと馴染んできたところ、また次に進まねばならない、 間違えるかもしれない、もしも止まってしまったら、と。その気持ちのまま次に進むと、失敗する可能性が高い。でもいつまでもここにとどまるわけにも行かない。

練習ですらその恐怖はあり、困っていたのだけれど、ある時ひとつだけそれを乗り越える方法に気づいた。大したことではないのだけれど、とても意味のあることに思えた。

それは、今弾いている小節の「音」にひたすらに集中するということ。変に集中しようとするわけではなく、耳を澄ます。何かが聞こえてくるまで、次に進まなくて良い。そうすると、本当に不思議なことなのだけれど、まるで音の中で自分の姿が消えていくようになる。恐怖はそれで無くなる。もし生きる中で、次に進む恐怖に足がすくんでしまうようであれば、その時は無理に進むのではなく、何かが見えてくるまでとどまることも良いのではないか。」

 もちろん、こんなに長くは話していないと思うが、このような少し重めの事を辿々しく話した。 なんともキラキラしていないタイプの演奏会ですねー

Canto Ostinatoは今でも常に弾くようにしていて、それどころかこのような曲まで作っている。演奏するたびに自分が話した前口上を思い出すのだけれど、今は今でまた違う考えにもなっていたりする。それは、「ほうほうの体でボロボロであろうとも、最後の一足まで前に進んで、倒れる時は前のめりだ」という勇ましいものであったり、「恐怖に飲み込まれてしまうのもまた人生」という諦めモードのものだったり、様々。

本当に面白い曲だ。


2024/11/14

Last Night The Light Came

音楽があまりにも満ちているために静止して見える、心の中の風景。音楽が、今にも張り裂けて怒涛に流れてくるのを待っているような風景。そういうものが、一昔前からはっきりしている。

それは濃紺の闇の中で、目を凝らしていると目が慣れてきて、やっと自分の掌の輪郭がうっすらと白くぼやけて見えてくるような、わずかな光の中にいるような・・そのような視界の世界。絵が描けたらどんなに良いかと思うくらいはっきりとしていて、いつかそれを音楽に表そうと思っている。

あまりにも没入したい音楽のイメージがあると、できるだけそこから目をそらしてしまう癖がある。それはきっと、音に表してしまうことへの躊躇、表した時点で違うものになってしまう恐さから来るものであり、また、美味しいものは最後に食べたいという性分もあると思う。が、あまりに目をそらしている時間が長いので、音楽が遠くに行ってしまったような気がした。

でも、これはスイッチと言えると思うのだけど、ひとたびイメージの中の焦点を「そこ」に合わせさえすれば、何かが湧き上がってくるのをいつも感じる。それを感じると安心する。湧き上がるものをかき集めて、そこから形を取り出すのは片手間ではいかないもので、全身全霊そこへダイブしないと取ってくることはできないと思う。

なりふり構わずダイブしたいものだけど、それ即ち生活がどうでも良くなるダイビングなので、中々飛び降りることができない。大きな問題は、日常生活の中でどう創り続けていくかということなのだと思う。生活と切り離すわけではなく、一枚隔てた場所に、創造の層の存在を意識する、忘れないでいるということ。

ジョージア・オキーフが「人生の中で、喜びは短く、ひと時に過ぎない。大事なのはその合間にある長い時間」というような事を言っていたと思うけれど、それに近いのかもしれない。創造に没頭するのは、たとえ短くとも幸せである。その短い創造の道中、さらに短いひと時の鋭い喜びを感じることはあれど、ほとんどはただひたすらに歩き、止まり、待つのみ。完成に至るまでの道のりは途方もなく長く果てがなく、時に完成しない。

そして、ほとんどは没頭する以前の生活の時間なのである。であるからこそ、心の中にある”層”を常に忘れないことは、本当に大切だと思うのです。

全身全霊ダイブして、生活がどうでも良くならないと音楽って作れないのか?という不満と疑問から、別の角度で音楽を表していく方法を考え出して2、3年ほど。それがとても知的に楽しくて、その方法ならばあらゆるものと音楽を繋げることができる。自力Max/MSP(今では、「ど」が付くほどの定番プログラミングシステム)と言えなくもない。  そのように作っているものが2、3。

だがしかしダイブintoして、自分の中の根に触れるように創る音楽にも、そろそろ飛び込みたい欲望が。何故ならそれが最も心の底の部分を救うから。そのように作りかけているのが、1、2、3、、。そして、こういう作り方をしているときに見る夢というのが非常に面白い。多分脳の使っている部分が違うのだと思う。

2024/06/03

Primavera

 

Ludovico Einaudi “Primavera”。3年前の演奏会のアンコール(連弾)の録音です。簡易的な録音の上に、ピアノの調律がなかなかトリッキーでして、顔をしかめる方がいても仕方のない音です。ですが、この録音は私にとっては特別なもの。単に記録として録ったもので、誰かに聞かせるつもりはなかったのですが、あの時忘れずに録音ボタンを押した私を胴上げしてあげたい。

この日は友人との2人演奏会でした。最後にアンコールで連弾をしようという話になったは良いが、合わせる時間もなく、当日のリハーサルで短時間だけ、何となくお互い遠慮したり苦笑いしたりしながら、何とも手応えのない合わせをしました。

私がprimo(高音部)担当でしたので、友人は「小西さんに合わせるから好きに弾いてね」と言ってくれたものの、その言葉を信用せず(ごめん)、本番も全く好きに弾くことは出来ず、それが音に如実に表れています。恐々としていて、どうにも硬い。好きに弾くには、ある程度、いや相当、鍛錬が必要なものです。ましてや連弾ですから。

この演奏が特別なのは、再現が不可能だからです。もう二度と起こることのない、音のように消えていってしまったものです。記憶だけがあって、それもまた薄れていきます。なのでせめて、ここに。

こんなに哀しい曲調で、Primavera(春)というのが、にくい。

2025年4月10日 追記
Einaudiは、春に哀しさを感じていたのだろうか。私にはとても共感できる。そして人間に「泣く」事ができて本当によかったと思う。涙するのはいい事だ、心の芯に何かが触れたという事だから。

2022/06/02

Photo Session

 



Photo by Masafumi Sakamoto

長きにわたって写真を撮っていただいている写真家の坂本正郁さんに、4年ぶりに写真を撮っていただきました。ジュエリーは、幼馴染でアーティストの森口真千子さんの作品です。


2021/05/19

Still Space



人生を通して特にアンビエント・ミュージックの作品をよく聴いてきた訳でもなく、アンビエントというものが結局どう言うものなのか、分からずにいます。単に「空間的な感じの、PAD音が中心にある心地よい音楽」と言うだけではなかろう事はわかるのですが・・・
 
しかしアンビエントとは何なのか分からずして「アンビエント的な音楽を作っています」と自己紹介している昨今、その行為自体がアンビエントだ!と思い、少しは自分なりにアンビエントに向かい合ってその姿をしかと見つめてみようと思い立ったのがここ数日。

ふと、ピアノ特殊奏法のワークショップの先生に教えていただいた芦川聡さん(先生と非常に親しかったそうです)の作品を思い出し、改めて彼の名曲 ”Still Space" を聞いてみました。

 

 ・・・・・・・ 


時が止まる思い。どうでしょう、この音楽の儚さは。

ひとこと、またひとこと、心に秘めた話を聞かせてもらっているような。。寂しさや哀しみがどうしようもなく溢れてきて、そのまま音として置かれていってしまったような。

この音楽を聴いていて思い出すのは、娘が3歳くらいの頃のことです。

夕暮れ時に、公園遊びを終えて家に帰る途中、自転車に乗りながら娘が突然、「ママ、死なないでね」と言ったのです。びっくりしましたし、不吉なこと言う子だな・・と思ったのですが、それより何より、なぜそんな事を言ったのか不思議でした。

後になって、きっとあの時初めて「寂しさ」ひいては「死」を感じたのではないかな?と想像しています。

夕暮れの寂しさと、静けさと、自転車に乗るママと自分、いつかは無くなってしまうもの、、それらがきっかけになって、どうしようも無い寂しさを心で感じたのではないかな、と。

あの時の空気、それをこの”Still Space"と言う音楽にそのまま感じます。

あの瞬間に娘と私の周りにあった空気そのもの、空気全て、です。

消えてしまうもの、寂しいもの、そして今はまだ有るもの。芦川さんの音楽から、無くならないでほしい寂しさをどうしようもなく感じています。願わくば、そこに静止していてほしい。

 結局、アンビエントというのは何かという探求はやめにして、芦川さんの音楽を理解することに時間を使いたいと思います。

2020/09/18

Recent MINGUSS

 




前回の投稿からはや1年ですか!様々な事が起こり狂っているこの世の中ですが、ひとまず風邪すらひくことがなくなり、元気です。

 今、私は黄昏の時を生きているのではないか、と先日箱根を走る車窓からふと思いました。星新一の「黄昏」というショート・ショートが凄く好きであると同時に恐ろしく、今まさにその世界を生きている気がしてなりません。ご存知ない方はぜひ、読んでみてください。そんな黄昏の中で、できることとは。大切なこととは。もうそんなに多くありません。より良き道を歩もう。

お知らせとしては、今年3月にCHANELエンゲージメントリングのムービーに、風のような一瞬の音楽を制作しました。お見知り置きをください。いくつかのキーワードをもとに音楽を制作したのですが、それが物凄く楽しかった。音楽を作る際に、一番拠り所にしているのが言葉であるので、それをいただければいくらでも旅をしていけます。

去年から引き続きピアノの特殊奏法のワークショップに参加しており、今後はピアノ演奏にも力を入れていきたいと思っています。