Photo by Michio Hoshino
星野道夫氏の写真集を見ていた時、カリブーの親子の写真が目に止まった。様々な色と生命に溢れきっている大地にすわり込み、遠くの何かを見ている写真だった。人が住む世界とはかけ離れている大自然の中、カリブーはそれを美しいとも素晴らしいとも思うこと無く、ただ息づいている。誰がこのカリブーの名前を知っているのだろう。他のカリブーが?この写真が撮られたあと、この母カリブーは子供とともにどこへ去っていき、今は生きているのだろうか。きっと生きてはいないだろう。
ふと、「このカリブーは私だ。」と思った。このカリブーの様に生きていたい、と言う事に近いのだと思うけれど、少し違う。憧れるような気持ちでは無いようだ。この、目も眩む様な大自然の中で、生命として在り、消えていく名も無き生き物と私の間に、何の違いがあるだろうと思ったのだ。特に哲学的に考え込んでいる最中ではなく、娘がバギーの上で寝てしまったために時間が出来たので、図書館に立ち寄ってパラパラと写真集を見ていた時にふと感じた事だ。
このカリブーと同じだ、と思うことはとても自分を安心させる。とても心地が良い。 誰の目に止まっても止まらなくてもいいのだ、名前さえ無くてもいいのだ、でも意志を持ってやってきて、やがて去っていく。
岡潔氏の、「春のスミレはただスミレらしく咲いているだけでいいと思っている。咲くことがどんなによいことであろうとなかろうと、それはスミレのあずかり知らないことだ。」と言う言葉がわかった気がした。
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