2015/03/11
2015.3.28 sat. MINGUSS Live Information
久しぶりに、ライブの御知らせです。
きっと次にライブをやるのは5年後くらいかな、まさか10年後くらいかなあなんて思っていた、頭の中身・起きている時間の95%が娘で占められている私ですが、急遽ライブのお誘いがありました。ドキドキ。
おそらく2年ぶりくらい、ドキドキ。
2年間の時間は、私の中の音楽の考えにおいてはほぼ動きがないため、お断りしようかとも思いましたが・・ 堀文子さんを敬愛する身としては、「岐路に立たされた時は、未知で困難な方を選ぶ」と言うお言葉に導かれ、ライブをする事に致しました。
岐路と言うには大げさに聞こえましょうが・・。
みなさん、宜しければドキドキしにいらして下さい。
2015.3/28(sat)at Ekoda Buddy
open 15:00 / close 22:30(18時まで再入場可)
Door:2500yen / with flyer:2000yen / Adv or Facebook(※):1500yen
(小学生以下無料)
■Guest DJ
DJ KENSEI(Coffee & Cigarettes Band)
AOKI takamasa(Raster-Noton / op.disc / A.M.)
Ametsub
DJ Emerald (13complex | Synthesmic)
■Guest Live
hajimeinoue(PROGRESSIVE FOrM / SL9)
Minguss
■DJ
石丸鉄平
ヘポタイヤ
DJ 粉塵
■VJ
田中廣太郎
Seitarow Kokubo
■Live Paint
Manabou
■Photo
reiko
■movie
石井陽之
■BOOTH
茶澤音學館
■more info
http://www.buddy-tokyo.com/
2015/02/01
Lebenszeit
ミヒャエル・エンデの「モモ」は、小学生の頃に初めて読み夢中になった物語で、内容もさることながら、その挿絵の世界観に子供ながらに共振し、憧れたものです。
ドイツ語を学び直しているいま再び読み返していますが、やはり1番好きなところは昔から変わらず、時を司るマイスター・ホラなる人物に、モモが「時間」を見させてもらう場面です。その描写がそれはそれはとても美しいので是非本文で味わって頂きたいのですが、つまりモモの見た「時間」とは、生まれては消えて行く、光り輝く美しい花であり、そこには聞いた事の無い様なメロディが流れていると言う様なものなのです。
モモはそのあまりの壮大な美しさに驚き、これはこの世の人間「全ての」時間なのだと思いますが、それはモモただ1人の、彼女だけの時間だったのです。
この様に、もしもその人の持つ時間全てを何か別の形で「見える」様にする事が出来たら、生きて消えて行く事に対してまるで違う感じ方が出来るのではないかと、ふと思いました。もちろんひとりひとりが持つ時間は実際は何年何十年と幅が違いますが、、そしてそれも終わってみなければ分からない事ですが。
例えばもし、生きる時間の全てを別の表現に置き換える事が出来たら、、たったの一歩先・一歩先しか拓けて行かない様な時間を表現出来たら、きっと素晴らしいだろうな・・・と夢を見て、今年も新たな一年が始まりました。
歳を重ね、世が複雑になればなるほど、ただ音楽に耳をすますと言う事を忘れてはいけない、と言うあるジャズピアニストの言葉が、少し分かる様になって来ました。
2014/11/07
call to prayer
あるアーティストの方が「Joni Mitchellの"Mingus"は、丘の上に立っている様な気持ちになるから好きだ」と話してくれた事があります。その言葉は私にとって非常に新鮮で、創造に満ちた空気が胸に広がるようでした。以来ずっと、何かを表したい気持ちの原動力になっています。
丘の上で風景を見下ろし、吹き抜ける風を感じる様な素晴らしいこと。音楽には確かに、ここではない何処かの場所を懐かしく感じさせる力があり、その爽やかな力は尽きる事の無い豊かな精神的資源になります。
夕陽が沈んで行き空の色が刻々と鮮やかに変わって行くのを眺める事や、素晴らしい色彩の陰影を見せてくれる山の表情に魅入る事。 それこそが音楽なんだなと、ますます思います。敬虔な思い、と言うものに近いかもしれません。
作品を作りたい気持ちと同時に、もう少し思考や静かな感動を深めて(広めて?)行きたいと言う気持ちがあります。幸か不幸か、今はまだ作品を作り込む余裕など無いのですが!・・・しかし私が眉間にしわを寄せて思考を巡らせている間に、娘はさっさと成長して行きそうですね。
巡らせている思考がいつのまにか淀んだ水溜まりになってしまわないように、来るべきときには軽やかに次の一歩を踏み出したいものです。
2014/10/05
scene life
Photo by Fan Ho
時は過ぎ、過ぎた時は一体何処へ行くのでしょうか?
川の流れに手をひたすと、手に触れた部分はすぐに過ぎ去って行き、いつでも「今」まさに触れる所にしか触れる事が出来ない、時の流れもそれと同じだと何かで読みましたが、川ならばいずれ海につながり、蒸発して雲になり、やがてまたそれが雨として地上に降ってきます。それでは時も未来へ向かって、やがて海の様な「時の渦」につながり、また雨のように「新たな時、もしくは過去」として降って来るのでしょうか?もしかしたら「時」は限られていて、本当にそういうものなのかもしれませんね。
・・なんとはなしにつらつらと書きましたが、そう、娘は時を重ねて1年とそろそろ3ヶ月を生き抜いて来ております。「自分の時間がない」と言われる育児。正確には、自分の都合で予定を組む事が出来ない、と言う事だと思うのですが、その束縛感を忘れてもう少しぐっと空から鳥のように眺めてみましょう。活きて過ぎ去って行った「時」が、「時の海」へつながり、やがてまた新たな「時の雨」として降り注いで来る、と思えば少しは素敵な感覚になりませんか!世の中のお母さまがた・・。まあ、こう言う思考は赤ちゃんが寝ている時に限られる、と言う事は重々承知しております。彼らが起きてしまえば、そうそう素敵には考えていられないですよね。
さて、最近心がハッとしたのが、Fan Ho と言う中国の写真家の方の60年前の香港の写真です。彼の写真は人々の生活そのものを切り取ったものですが、それは驚くほど美しく、音までも聞こえて来そうなほどに、躍動しているのです。こんなにも「生活」が美しく切り取られるとは・・・。この鋭敏な感覚は、素晴らしいです。
写真とはおそらく、「現実と写真家の思考が融合したもの」だと思いますが、Fan Hoがその時人々の生活を見て強烈に美しいと感じた閃光の様な感動が、画に鮮明に写り込んでいて、心が動かされます。まさに、その時のFan Hoの感動が、時を超えて雨のように私に降り注いだのでしょう。
クリシュナムルティの著書には「重い荷物を運ぶ人々の顔をあなたは観察した事がありますか?」と言う問いが多く出て来ますが、それは「ただそこに在る、名の無い雑草のような、あるいはひっそりと静かに空に向かって生きる大木のような、美しさ」を見逃してはいないか?と言う問いだと思います。Fan Hoの写真を見ていて、クリシュナムルティの問いの一端が見えた様な気がします。
そして、それは今の自分の生活においてまさに忘れては行けない感覚なのだと思います。
2014/06/05
unpredictable
なにしろ、インディアンの世界では鷹は聖なる生き物。
鷹や鷲の鋭い目、空を切り裂く様な力強い飛翔、そしてその堂々たる美しい造形に私も似非インディアンの様に並々ならぬ憧れを抱いていたので、その御羽根に触る事が出来るとは・・・なんともありがたやな機会でした。もう1歩頑張って、今度は腕に止まらせてみたい。
さてそれから鷹匠自体に興味を持ち色々調べていた際、モンゴルの13歳の鷹匠の少女の記事を発見しました。そしてその美しい写真の数々に、ため息が・・・なんとも、息をのむ様な世界がここに。
"A 13-year-old eagle huntress in Mongolia"
この記事の中のとても印象的な一文、
The skill of hunting with eagles, Svidensky says, lies in harnessing an unpredictable force of nature.
『鷹狩りの技術は、いかに予測不可能な自然の力を利用できるかにかかっている』
ならされた自然は「美しいな」と思うけれども、本当の自然は、ただただ恐ろしい。予測不可能な自然の力、それこそが知恵を振り絞って抗ってきている最も恐るべきものです。
たとえそれが一羽の鷹でも、その力に寄り添う、どころか「利用する」とは、なんとも猛々しい。予測不可能と言う事は、失敗する事が前提であるはず。予想以上に失敗してしまった時に、また新たに組み立て直せる技術や精神力を持っていなければ、適わない仕事です。
毎日何が起こるのか、どういう1日になるのか予想が出来ない、娘(もうすぐ11ヶ月!)との生活を思い、自然に振り回されまくりその度に沈没している私は、この麗しき13歳の鷹匠の少女の爪のあかを煎じて飲みたい気持ちになりました。
そして何より、この極寒の冬山で鷹を放っている少女のありのままの美しさを思うと、心の中に大空のような広がりと、猛々しい風が 感じられます。
いつかモンゴルへ、鷹狩りを見に行きたいものですね。娘と!
2014/04/09
story
そうしたいと思えば、世界中のテレビ・ラジオ・新聞を視聴する事が出来る、とても凄い時代ですね。アルジャジーラなんかはネット上でオンエアされているので、稚拙なヒアリング能力ではありますが、良く視聴しています。
おそらく画面に映るもの全て・・起こっている事件、街の騒音、家の色彩、人々の言語、服装、喧噪、現地リポーターの口調・・など全てが私にとっては興味深いので、ある意味「旅をする」ような気分で、悪く言えば「見物する」ようにニュースを見ているのかもしれません。
それでも画面に家族を亡くして泣いている人が映れば、悲しみ方は誰もが同じだなと思ったり、例えば私の娘と同じくらいの子を抱えている母親が映ると、その人はどんな風にその子を産み、育てて来たのかと思いをめぐらせたり、、事件ではなく「人」を見ると、ぐんと自分の生との情のつながりを感じます。
でも、画面に映ることは、画面に映らなかったことに比べれば針の先ほどでしょう。実際の生活は、画面になど映らないものです。
ほとんどの人は、自分の周りの人々と共に生きて、本にも映画にもニュースにもならずに一生を始めて、終えます。もしかしたら多くの人が、周りの人にさえも気づかれずに悲しんでいるかもしれません。テレビで様々な番組やニュースを見ていると、なににも捉えられなかった人々の思いに心が動いて行きます。
誰にも知られる事のなかった悲しみは、人々が踏み入れない深い森のなかで、1本の木が倒れるようなもの。音は確かにしていても、誰もそれを聞いていないのです。でも、その音こそ、本当の音なのだなと思います。
私の一生をかけても知る事のない美しい風景が、そこに生きる人々の生活としてごく当たり前に日々躍動している事を思うと、そしてそれがついには消えて行くことを思うと、、永い夢をみているようです。
そこにこそ、わざわざ作られたものではない「音楽」があるのだと思います。
2014/02/07
sunshine
早いもので、娘ももうすぐ生後7ヶ月!大きな樹の様にじっくり成長して行く彼女になす術無く、ただただお世話する事に必死な毎日です。
先日、空一面を雲が覆い寒く静まり返っている午後に、一瞬だけ太陽の陽が射したのでふと庭を見ると、背の高い木に止まったヒヨドリの羽根のふちが輝いていました。
濃灰色の曇り空がかえって陽を強調したのか、妙に木々もくっきりと背景から浮かび上がっていて、そこだけ現実から切り離されているかの様な景色でした。じっと見入って、なぜか春が訪れた様なあたたかい高揚を感じました。
これ以上に工夫の無い例えはないかもしれませんが、娘の見せる笑顔はまさに太陽の陽です。風の強い日の空の様に刻一刻と変化する彼女の感情の起伏に、本当にへとへとになる事もありますが、時々にみせる笑顔や笑い声は文字通り一瞬ですべての疲れを吹き飛ばします。何もしかけの無い、シンプルなコミュニケーションの最高に幸せな型なのでしょうね。
そしてすぐに陽はかげり雷鳴が轟き、傘が無い、靴も無い、肩にかかる重みは子泣きじじいのごとく、睡眠不足で体力も限界!な状態に即座に陥ろうとも、また次にやってくる一瞬の陽の光に救われながらやり過ごしております。
2014/01/08
equality and difference
新年明けましておめでとうございます。
昨年一年は、私にとって随分と状況の変わる年となりました。自分の姓も住む場所も家族も変わり、そんなに一度に全ての事が変わる事はそうそう無いので、ショック療法に近い感じで何かが変化しつつあるのかもしれないな・・と思っています。
夢の無い事かもしれませんが、結婚して子供を産む、と言う事はひとつの出来事、過程でしかない事なのだと当たり前に思えます。実際に体験するまで、あらゆる事にまつわる情報は、すべてがイメージでしかないのですね。イメージは何故生まれているのかと言うと、それにまつわる商品の宣伝のため、だからなのでしょうか。
先日とあるカフェの授乳室で偶然一緒になったママさんが、「想像していた様なキラキラとした子育てライフを、自分がおくる事が出来ていなくてとても辛い」と言う様な事をおっしゃっていて、私はその気持ちが良く分かったのですね。聡明な方は「何をのんきでアホな事いってるんだ、自分の体験を、その瞬間を大切にせよ」と至極まっとうな事を思うかもしれませんし、私も最終的にそう思います。
でも、とても単純だけれど、謎のイメージと比べて実際があまりに違うと落ち込んでしまうと言う事は、結構簡単に起こるのかもしれません。完全に輝かしいイメージ通りに生活している人間と言うのは恐らく存在しないはずなのに、何故落ち込んでしまうのでしょうか。不思議なことですね。
全てのイメージから自由になる事は、とても難しい事だと思います。それは自分の身に起こった事を幸せな事か不幸な事か判断するのを永遠にせずに、ただきちんと両目で見据えて、感じて行く事、なのかな・・なんて思っております。それが出来て初めて、自分の目の前の風景を見る事が出来るのでしょう。・・・うーん、書くは易し!
話変わって、今年少しは理解を進めたいな、と言うテーマは「差別と平等」です。海童道祖が武満徹との対談の中で何度も繰り返していたこのテーマ。なんとなく感じは分かるんだけれども、まだまだ良くは分かりません。きっと音楽において、新たなアイディアのきっかけになると思います。
それでは本年もMINGUSSをどうぞよろしくお願い申し上げます。
2013/10/25
timeless
娘を出産してからもう3ヶ月の時間が過ぎ去りました。私にとってはまるで時が止まったかのように長い時間でした。始めはとにかく落ち着かなく、頭によぎる沢山の考えたい事をひとつひとつ噛み締める余裕がないため、何百人前のそばを配達中に渋谷の交差点で全てぶちまけ慌てまくっているおそば屋さんのような頭の中身(?)でした。
今と言う時だけを見る事、そんな事が出来るようになるのでしょうか?!今ほど、このネイティブ・アメリカンの言葉が響く時はありませんでした↓
そこに辿り着こうと焦ってはいけない。「そこ」などどこにもないのだから。本当にあるのは「ここ」だけ。今という時に留まれ。体験を慈しめ。一瞬一瞬の不思議に集中せよ。それは美しい風景の中を旅するようなもの。日没ばかり求めていては夜明けを見逃す。」【ブラックウルフ・ジョーンズの言葉】
さて、そんな私でも最近はようやくそばを回収する事に成功し、また1人前から作り直す事に専念できるような頭の中身(?)になってきた感じがします。
娘に対する感情、これは当たり前ですが今までに味わった事のないものです。なんだか、娘と言うより年の離れた昔からの大親友の様な・・そんな感じもします。
MINGUSSとしては今、ある素晴らしいアルバムの中の一曲のリミックスをゆっくり仕上げている最中です。また、次回の自身の作品へ向けて下書きを描いていっています。私自身がとても楽しみで、今考えている事をはたして形に出来るのかどうか、ワクワクしています!もう一歩二歩、思考を深めて行かなければ。
話変わって、画像は地蔵ゆかりさんと言う写真家の作品です。Facebookでその作品をみて、絵画の様な作品にすぐに深くひき付けられてしまいました。絵画の様で幻想的だけども、シリアスな現実そのものである、またはその逆である作品、そのようなものにとにかく惹かれます。地蔵さん、大注目の写真家の方。いつかお会い出来たら良いなぁ、なんて思っております。
2013/07/30
beginning
2013年7月8日午前9時に、無事娘を出産しました。予定より3週間近く早い出産に家族共々びっくり。医学的にギリギリ正規出産の範囲です。こればっかりは本人の都合ですからね!この日を選んで力強く元気に産まれて来てくれて、本当に良かった。
産まれた瞬間、顔を初めて見ての感想は・・・なーんだ、お前だったの!と言う感じです。我が子を見た瞬間号泣するかなあと思っていましたが、意外となんだかそう言うモードではなかったです。
出産の苦しみについての噂は数あれど、経験してみれば本当にあんなにも身体的に辛い事は想像出来なかった・・・。とはいえ、私は安産中の安産。それに、助産師の方々が本当に優しく懸命に出産にあたって下さって、本当に恵まれた環境でした。これが原始時代だったらと思うと・・ぞっ。
そして辛い出産の次に待っていたのは別の次元でのハードな日々。そうかあ、そうだよな。産んでおしまい、ではなくここからがスタートですものね。
入院中は運良く窓際のベッドでした。スカイビューで最高!夏の夕空の美しさが、深く印象に残っています。心が静かになっていく感じでした。不思議と、ああ全てのものは「同じ」なんだなあ・・と言う理解(?)が心に湧いて来ました。それがどういう意味なのか、深くは追求していませんが、、まあその感慨に耽るのも母子同室になる前まででしたが。
自分の時間が無くなると言われる育児ですが、全て含めて自分の大切な時間なのだと思います。
良く「音楽はどうするの?!」と聞かれますが、今までと変わりません。創りたい時に創りたいように創る、と言う我が侭ペースでやって行きます・・!もとい、悲しいかな、今まで誰にも強制されたりせかされたりした事が無いしなあ。
はっきり言ってしまえば、音楽を形にする事より、音楽が心に溢れている事が大切だと思っています。心に音楽が無い様な状態でも、いくらでも作る事は出来てしまいますから・・もはや「音楽」とは、森羅万象に対する感性の事かもしれません。
何かをする時間を追うより、今この時の感性を閉じてしまわないように、娘と家族と共に新たな生活を始めて行こうと思います。
・・とは言えただの我が侭娘だった私にとっては本当にハード!先輩ママパパ達、どうぞご指導よろしくお願い致します。。
それではこれからも、MINGUSSをろしくお願いします。
2013/06/04
cosmos
動画はMiyoko Shidaさんによる"sanddornbalance"と言うパフォーマンス。羽根一本のバランス、秩序、調和、そしてそれが崩れる事、、色々な意味や思いを観ている人に呼び起こす、なんともシンプルで味わい深い表現・・・!ひとめ見て、その「全体的」な表現の虜になりました。
同時に、こういう感じのものを作りたいんだよなあ、と思います。それが「モノ」として作りたいものなかどうかは分からないのですが・・。
ジョージア・オキーフが砂漠に落ちている動物の「骨」をモチーフに描いた作品や、Ashes and Snowの作品にも感じるような、自然に在るものや遺っているもの、そのものの力を借りて、新たな世界観を伴って生み出されたような作品。そういうのを作りたいな、と長らく思っております。
下の写真は、このパフォーマンスを観て思い出したテオ・ヤンセンの作品。風の力で動くという不思議な生物(、と言っていた気がします)を作ったアーティスト。確かに、朽ち果てなければ何千年でも何万年でも、風の吹く限り動き回っている最強の生物ですね。動いていれば生物と言う事なのかしらん?










