なにしろ、インディアンの世界では鷹は聖なる生き物。
鷹や鷲の鋭い目、空を切り裂く様な力強い飛翔、そしてその堂々たる美しい造形に私も似非インディアンの様に並々ならぬ憧れを抱いていたので、その御羽根に触る事が出来るとは・・・なんともありがたやな機会でした。もう1歩頑張って、今度は腕に止まらせてみたい。
さてそれから鷹匠自体に興味を持ち色々調べていた際、モンゴルの13歳の鷹匠の少女の記事を発見しました。そしてその美しい写真の数々に、ため息が・・・なんとも、息をのむ様な世界がここに。
"A 13-year-old eagle huntress in Mongolia"
この記事の中のとても印象的な一文、
The skill of hunting with eagles, Svidensky says, lies in harnessing an unpredictable force of nature.
『鷹狩りの技術は、いかに予測不可能な自然の力を利用できるかにかかっている』
ならされた自然は「美しいな」と思うけれども、本当の自然は、ただただ恐ろしい。予測不可能な自然の力、それこそが知恵を振り絞って抗ってきている最も恐るべきものです。
たとえそれが一羽の鷹でも、その力に寄り添う、どころか「利用する」とは、なんとも猛々しい。予測不可能と言う事は、失敗する事が前提であるはず。予想以上に失敗してしまった時に、また新たに組み立て直せる技術や精神力を持っていなければ、適わない仕事です。
毎日何が起こるのか、どういう1日になるのか予想が出来ない、娘(もうすぐ11ヶ月!)との生活を思い、自然に振り回されまくりその度に沈没している私は、この麗しき13歳の鷹匠の少女の爪のあかを煎じて飲みたい気持ちになりました。
そして何より、この極寒の冬山で鷹を放っている少女のありのままの美しさを思うと、心の中に大空のような広がりと、猛々しい風が 感じられます。
いつかモンゴルへ、鷹狩りを見に行きたいものですね。娘と!
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