以前、横尾忠則さん見たさと言うミーハー心で倉俣史朗展に偶然足を運んだ際、横尾さんそっちのけで(あ、失敬)倉俣史朗さんの作品に直ぐに心を掴まれてしまいました。ビジョンがあり、粋で、見る者の想像をかき立てるような洗練された作品に、この作品に合う音楽を作りたいと心底思いました。
中でも、「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」と言う銀色の細い鉄の網で作られた美しい椅子を目にした時、一瞬で、(クラバー的に表現すると)、両手を天に向かって掲げたくなりました。夢の中で見たものを目にした様な・・。豊かでありました。とても、瑞々しく、詩で出来ている椅子でした。
倉俣さんがインタビューの中でしきりに「タルコフスキーの映画に強く影響を受けた」と言っておりました。中でも「惑星ソラリス」のあるシーンが強い印象を残している、と。私がそれを聞き逃すはずも無く、いつか見よう、それもなるべく後にみよう(すぐみてはもったいないし)と決心していました。しかし、最近ライブのオファーに関わる事でもあり、タルコフスキーの「鏡」を見たのです。
「鏡」
映画にこんなにも、感覚が動かされるとは想像していませんでした。一体どういう事なのでしょう。あんな映画は初めてです。映画の内容が分からない、と言うのでは無く、あの映画によって気づかなかったある感覚の持ち方が目覚めさせられた、と言った感じです。あの映画に一体何が含まれているのか、と思いました。内容や音や映像以外の何かが、始めから最後までに息づいて移ろって行きました。理解出来ない存在が感じられて、すっかり驚いてしまったとともに、倉俣史朗さんの作品の事も思い浮かびました。
私はまだ何も結論づけられていませんが、タルコフスキーや倉俣史朗さんに感じるもの、それは詩であり、祈り(これについてもまだ感覚でしかわかりませんが・・)であり、、とても陳腐な表現ですが、、それ以外の内面的ななにかであるんだろうと思います。はっきりとしたビジョンや手を伸ばしたい場所やなにか。
今、この時、極々個人的に受け継いでゆく感覚と言うのが、私には重要に思えます。
2 件のコメント:
麻美ちゃんのブログとアルバムがリンクしていて興味深い。
広く浅く・・・しかし、娘に言わせると「器用貧乏」な私は・・・・いい歳して、中身がない。(T_T)
頑固親父さん
アルバムとリンクしていますか!
それは凄いです、嬉しいです。
本当に中身が無い人は
無い事に気づかないと思うのです!
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