2014/04/09

story




そうしたいと思えば、世界中のテレビ・ラジオ・新聞を視聴する事が出来る、とても凄い時代ですね。アルジャジーラなんかはネット上でオンエアされているので、稚拙なヒアリング能力ではありますが、良く視聴しています。

おそらく画面に映るもの全て・・起こっている事件、街の騒音、家の色彩、人々の言語、服装、喧噪、現地リポーターの口調・・など全てが私にとっては興味深いので、ある意味「旅をする」ような気分で、悪く言えば「見物する」ようにニュースを見ているのかもしれません。

それでも画面に家族を亡くして泣いている人が映れば、悲しみ方は誰もが同じだなと思ったり、例えば私の娘と同じくらいの子を抱えている母親が映ると、その人はどんな風にその子を産み、育てて来たのかと思いをめぐらせたり、、事件ではなく「人」を見ると、ぐんと自分の生との情のつながりを感じます。

でも、画面に映ることは、画面に映らなかったことに比べれば針の先ほどでしょう。実際の生活は、画面になど映らないものです。

ほとんどの人は、自分の周りの人々と共に生きて、本にも映画にもニュースにもならずに一生を始めて、終えます。もしかしたら多くの人が、周りの人にさえも気づかれずに悲しんでいるかもしれません。テレビで様々な番組やニュースを見ていると、なににも捉えられなかった人々の思いに心が動いて行きます。

誰にも知られる事のなかった悲しみは、人々が踏み入れない深い森のなかで、1本の木が倒れるようなもの。音は確かにしていても、誰もそれを聞いていないのです。でも、その音こそ、本当の音なのだなと思います。

私の一生をかけても知る事のない美しい風景が、そこに生きる人々の生活としてごく当たり前に日々躍動している事を思うと、そしてそれがついには消えて行くことを思うと、、永い夢をみているようです。

そこにこそ、わざわざ作られたものではない「音楽」があるのだと思います。

2014/02/07

sunshine



早いもので、娘ももうすぐ生後7ヶ月!大きな樹の様にじっくり成長して行く彼女になす術無く、ただただお世話する事に必死な毎日です。

先日、空一面を雲が覆い寒く静まり返っている午後に、一瞬だけ太陽の陽が射したのでふと庭を見ると、背の高い木に止まったヒヨドリの羽根のふちが輝いていました。

濃灰色の曇り空がかえって陽を強調したのか、妙に木々もくっきりと背景から浮かび上がっていて、そこだけ現実から切り離されているかの様な景色でした。じっと見入って、なぜか春が訪れた様なあたたかい高揚を感じました。

これ以上に工夫の無い例えはないかもしれませんが、娘の見せる笑顔はまさに太陽の陽です。風の強い日の空の様に刻一刻と変化する彼女の感情の起伏に、本当にへとへとになる事もありますが、時々にみせる笑顔や笑い声は文字通り一瞬ですべての疲れを吹き飛ばします。何もしかけの無い、シンプルなコミュニケーションの最高に幸せな型なのでしょうね。

そしてすぐに陽はかげり雷鳴が轟き、傘が無い、靴も無い、肩にかかる重みは子泣きじじいのごとく、睡眠不足で体力も限界!な状態に即座に陥ろうとも、また次にやってくる一瞬の陽の光に救われながらやり過ごしております。

2014/01/08

equality and difference



新年明けましておめでとうございます。

昨年一年は、私にとって随分と状況の変わる年となりました。自分の姓も住む場所も家族も変わり、そんなに一度に全ての事が変わる事はそうそう無いので、ショック療法に近い感じで何かが変化しつつあるのかもしれないな・・と思っています。

夢の無い事かもしれませんが、結婚して子供を産む、と言う事はひとつの出来事、過程でしかない事なのだと当たり前に思えます。実際に体験するまで、あらゆる事にまつわる情報は、すべてがイメージでしかないのですね。イメージは何故生まれているのかと言うと、それにまつわる商品の宣伝のため、だからなのでしょうか。

先日とあるカフェの授乳室で偶然一緒になったママさんが、「想像していた様なキラキラとした子育てライフを、自分がおくる事が出来ていなくてとても辛い」と言う様な事をおっしゃっていて、私はその気持ちが良く分かったのですね。聡明な方は「何をのんきでアホな事いってるんだ、自分の体験を、その瞬間を大切にせよ」と至極まっとうな事を思うかもしれませんし、私も最終的にそう思います。

でも、とても単純だけれど、謎のイメージと比べて実際があまりに違うと落ち込んでしまうと言う事は、結構簡単に起こるのかもしれません。完全に輝かしいイメージ通りに生活している人間と言うのは恐らく存在しないはずなのに、何故落ち込んでしまうのでしょうか。不思議なことですね。

全てのイメージから自由になる事は、とても難しい事だと思います。それは自分の身に起こった事を幸せな事か不幸な事か判断するのを永遠にせずに、ただきちんと両目で見据えて、感じて行く事、なのかな・・なんて思っております。それが出来て初めて、自分の目の前の風景を見る事が出来るのでしょう。・・・うーん、書くは易し!

話変わって、今年少しは理解を進めたいな、と言うテーマは「差別と平等」です。海童道祖が武満徹との対談の中で何度も繰り返していたこのテーマ。なんとなく感じは分かるんだけれども、まだまだ良くは分かりません。きっと音楽において、新たなアイディアのきっかけになると思います。

それでは本年もMINGUSSをどうぞよろしくお願い申し上げます。

2013/10/25

timeless



娘を出産してからもう3ヶ月の時間が過ぎ去りました。私にとってはまるで時が止まったかのように長い時間でした。始めはとにかく落ち着かなく、頭によぎる沢山の考えたい事をひとつひとつ噛み締める余裕がないため、何百人前のそばを配達中に渋谷の交差点で全てぶちまけ慌てまくっているおそば屋さんのような頭の中身(?)でした。

今と言う時だけを見る事、そんな事が出来るようになるのでしょうか?!今ほど、このネイティブ・アメリカンの言葉が響く時はありませんでした↓

そこに辿り着こうと焦ってはいけない。「そこ」などどこにもないのだから。本当にあるのは「ここ」だけ。今という時に留まれ。体験を慈しめ。一瞬一瞬の不思議に集中せよ。それは美しい風景の中を旅するようなもの。日没ばかり求めていては夜明けを見逃す。」【ブラックウルフ・ジョーンズの言葉

さて、そんな私でも最近はようやくそばを回収する事に成功し、また1人前から作り直す事に専念できるような頭の中身(?)になってきた感じがします。

娘に対する感情、これは当たり前ですが今までに味わった事のないものです。なんだか、娘と言うより年の離れた昔からの大親友の様な・・そんな感じもします。

MINGUSSとしては今、ある素晴らしいアルバムの中の一曲のリミックスをゆっくり仕上げている最中です。また、次回の自身の作品へ向けて下書きを描いていっています。私自身がとても楽しみで、今考えている事をはたして形に出来るのかどうか、ワクワクしています!もう一歩二歩、思考を深めて行かなければ。

話変わって、画像は地蔵ゆかりさんと言う写真家の作品です。Facebookでその作品をみて、絵画の様な作品にすぐに深くひき付けられてしまいました。絵画の様で幻想的だけども、シリアスな現実そのものである、またはその逆である作品、そのようなものにとにかく惹かれます。地蔵さん、大注目の写真家の方。いつかお会い出来たら良いなぁ、なんて思っております。

2013/07/30

beginning



2013年7月8日午前9時に、無事娘を出産しました。予定より3週間近く早い出産に家族共々びっくり。医学的にギリギリ正規出産の範囲です。こればっかりは本人の都合ですからね!この日を選んで力強く元気に産まれて来てくれて、本当に良かった。

産まれた瞬間、顔を初めて見ての感想は・・・なーんだ、お前だったの!と言う感じです。我が子を見た瞬間号泣するかなあと思っていましたが、意外となんだかそう言うモードではなかったです。

出産の苦しみについての噂は数あれど、経験してみれば本当にあんなにも身体的に辛い事は想像出来なかった・・・。とはいえ、私は安産中の安産。それに、助産師の方々が本当に優しく懸命に出産にあたって下さって、本当に恵まれた環境でした。これが原始時代だったらと思うと・・ぞっ。

そして辛い出産の次に待っていたのは別の次元でのハードな日々。そうかあ、そうだよな。産んでおしまい、ではなくここからがスタートですものね。

入院中は運良く窓際のベッドでした。スカイビューで最高!夏の夕空の美しさが、深く印象に残っています。心が静かになっていく感じでした。不思議と、ああ全てのものは「同じ」なんだなあ・・と言う理解(?)が心に湧いて来ました。それがどういう意味なのか、深くは追求していませんが、、まあその感慨に耽るのも母子同室になる前まででしたが。

自分の時間が無くなると言われる育児ですが、全て含めて自分の大切な時間なのだと思います。

良く「音楽はどうするの?!」と聞かれますが、今までと変わりません。創りたい時に創りたいように創る、と言う我が侭ペースでやって行きます・・!もとい、悲しいかな、今まで誰にも強制されたりせかされたりした事が無いしなあ。

はっきり言ってしまえば、音楽を形にする事より、音楽が心に溢れている事が大切だと思っています。心に音楽が無い様な状態でも、いくらでも作る事は出来てしまいますから・・もはや「音楽」とは、森羅万象に対する感性の事かもしれません。

何かをする時間を追うより、今この時の感性を閉じてしまわないように、娘と家族と共に新たな生活を始めて行こうと思います。

・・とは言えただの我が侭娘だった私にとっては本当にハード!先輩ママパパ達、どうぞご指導よろしくお願い致します。。

それではこれからも、MINGUSSをろしくお願いします。

2013/06/04

cosmos





動画はMiyoko Shidaさんによる"sanddornbalance"と言うパフォーマンス。羽根一本のバランス、秩序、調和、そしてそれが崩れる事、、色々な意味や思いを観ている人に呼び起こす、なんともシンプルで味わい深い表現・・・!ひとめ見て、その「全体的」な表現の虜になりました。

同時に、こういう感じのものを作りたいんだよなあ、と思います。それが「モノ」として作りたいものなかどうかは分からないのですが・・。

ジョージア・オキーフが砂漠に落ちている動物の「骨」をモチーフに描いた作品や、Ashes and Snowの作品にも感じるような、自然に在るものや遺っているもの、そのものの力を借りて、新たな世界観を伴って生み出されたような作品。そういうのを作りたいな、と長らく思っております。

下の写真は、このパフォーマンスを観て思い出したテオ・ヤンセンの作品。風の力で動くという不思議な生物(、と言っていた気がします)を作ったアーティスト。確かに、朽ち果てなければ何千年でも何万年でも、風の吹く限り動き回っている最強の生物ですね。動いていれば生物と言う事なのかしらん?

2013/05/01

Question : Are you Free?



エジプト行き(結局断念しましたが)を決意してから唐突に興味を惹かれてしまった、エジプトにおいてのキリスト教である「コプト教」については以前ブログにも書いたと思いますが、それ以来「僧院」や「祈り」、また「宗教建築」に引き続き興味を持って、宗教を問わずことあるごとに調べたり見たりしています。(もちろん本で。ちなみに『モノフィジットの僧院世界』と言うTOTO出版の本が素晴らしい!!古本で1万以上するけれど思い切って手に入れようか・・)

私自身は無宗教でして、逆にその気軽さからこんな風に色々調べる事が出来るのだと思いますし、そもそも真に敬虔な信仰心と言うものは、自然に対して感じるような感情なのかなと思うので、それはある意味芸術と同じだと思います。

さてそんな流れのなか、最近はチベットの仏教音楽になんとなしに惹かれており、それに関した音源や本をつまみ聞き&読みしています。・・と思った矢先に、チベット・フェスティバルなるものが今日を皮切りに護国寺にて6日まで開催と言うではありませんか!ラッキー!早速下見に行って参りました。

会場は護国寺と言うお寺で、本日は生憎の雨。私のお目当てはチベット高僧による無料の講演で、それは雨のためにテントの下で行われました。人は少なかったですが、その分本当にチベットに興味があるのであろうと思われる人々が集まり、真剣に聞き入っていました。(1人、あれ?なんでお坊さんがお客さんの中に居るのかな?と思う人がいましたが、その人はただそう言う服を着ていただけでした。顔つきも日本人とそう変わらないし、紛らわしいよ!)

がしかし講演自体は、高僧の方の講演と言うよりはインタビュアーの方による質問形式だったため、そうディープでは無いなと思ったのは私だけではないはず。お客さんの質問コーナーでは、結構マニアックな質問をされている方もいましたが、私は何せにわかなので、「あなたにとって祈りとは何か」など聞きたいな、と純粋に思いました。もしあの高僧の方とばったりどこかで会ったら聞こう・・

それはともかく、私にとっては彼らの眼差しや僧衣や、砂絵を描いているときにかすかに鳴る金属のあたる音、そしてお香の香り、仏教タペストリー?の物凄く深いブルーのシルクの色など、感覚として美しいと感じる所がいくつもあり、とても良かったです。

「真実」は僧院の中には無い、と言う言葉が少し実感できました。

チャムと言う仮面舞踏は最終日までに観に行かないと。

2013/03/11

100,000 years



すっかり春らしくなって来ましたね。さらにすっかりご無沙汰していたここ1、2ヶ月の間、個人的にとても慌ただしくもあり、その実、日が暮れて行く様をずーっと最後まで眺めたり、野良猫の縄張り争いをはらはらしながら家政婦の様にのぞいたり、梅の木の幹にさわって「なるほど。意外と中がスカスカしている感触だな」などと感じる暇のある、ゆっくりとした日々を楽しんでおりました。なんとも貴族的ではあるまいか!今は、生命を楽しんでいます。

写真は、クリシュナムルティと言う思想家で、かなりの著書を残している人物。家にも書が何冊かあり、父に遥か昔から読む様に勧められていましたが、この人はちょっと避けておこうと第6感が囁き、随分と読む事を敬遠していました。というのも、自立出来ない精神の拠り所としてのめり込んでしまうような、マユツバ系のスピリチュアル・マインドが私は嫌いで、そういう部類の思想の人と思っていたからです。

ところが、読んでみるになんとも現実的と言うか、冷静と言うかユメが無いと言うか。この現実を突きつける感じは結構イケると、今何冊か読み進めています。彼の思想と言うよりは、彼の自然に対する感性がとっても詩的で、私はその部分に惹かれています。

さて、クリシュナムルティにハマりゆっくり過ごしつつも、次回の作品は大体こんな感じになるだろうと大体決まりました。題名すらも決まっておりますので、またゆっくり取り組んで行きます。どうぞ末永くお付き合い宜しくお願いします。

2013/01/25

Kasar Remixed



2011年にベルリンにひと月ほど遊びに行った際に、縁があってArnold Kasarさんと言う音楽家の完成間際のアルバムの一曲にヴォーカルで参加する事になると言う、とても有り難い偶然がありました。

曲はSolo Sunnyと言う映画からインスパイアされたものだそうで、Arnold氏のスタジオで既に素晴らしいオケが出来ているのを聞かせてもらい、すぐにメロディを付けたデモを送り返した所気に入って頂き、その後東京とベルリンでファイルのやりとりを経た末に、2012年に同曲の収録されたアルバムが目出たくリリースとなりました。

このアルバムは"The Piano has been Smoking"と言う、とてもクールでスモーキーで、、私にとってはベルリンの冷たい空気を心地よく感じる素晴らしいアルバムです。是非聞いてみて下さい。

さて、今回新たにこのアルバムから"Solo Sunny"をAlex Barckに、"Put a Light on Me"をEva BeによってリミックスされたヴァイナルがSonar Kollektivよりリリースされました。

音はこちらで試聴出来ます。

更に、日本でも手に入るのかざっと探した所、Jetset Recordsさんで取扱いがあるのを発見しました。他にも入手出来るお店があるのかもしれません、少し探してみます。

是非手に入れて聴いてみて下さいね!

2012/12/27

where do we come from

 

間もなく2012年が終わろうとしていますが、これが2212年だとしても恐らくそうは変わらない挨拶を人々は口にしながら、果てしなく年を重ねていくのだろうなあ、なんて思っています。皆様いかがお過ごしでしょうか。

今年は思いもよらず(思いもよらぬ場で)ライブを重ねる事が出来て、その為に次に続くアイディアも出てきましたし、ミンガスとしては今までにない快挙の1年だったと思います。来年は制作中心の年になると思いますが、これからもマイペースな活動にお付き合い頂けたらこれ以上嬉しい事は無いです。

年の暮れの夕暮れの中Derrick MayのKaotic Harmoneyを聞きながら、思う事。

私はデリックの音楽でこの曲が1番すきなのですが、、というよりこの曲に如実に彼のビジョンが表れていると私は思うのですが、、この音楽が流れてくるとどうしようもない郷愁の念の渦に魂の全てが包み込まれてしまうような感覚を覚えます。

変な言い方ですが、(私には1番正しく言いえている言い方だけれど)、魂というのか生命の源のエネルギーと言うものは、ここから生まれてやってくるんだなあ、と思える音楽です。

だから、「故郷を思う」と言う意味を超えた「郷愁」をどうしようもなく感じてしまうんだと思います。

どのような種類の音楽も在りえますが、私はむしろ音楽の可能性よりこの郷愁を生涯追い求めたい。幻想を抱いて生きることは私の望むところではなく、現実のすぐ向こう側にある夢、現実と平行して存在しつづける夢をみながら、それを表していく事こそ、私の意志の望むところです。

それでは、皆様どうぞ良いお年を!

2012/12/07

thousand minarets



さて、もう12月ですね。少し間があいてしまいましたが、まずはご報告として。エジプト〜ベルリン旅行は今回は中止となりました・・・!こんなにも色々調べて盛り上がっていた所ですが、無しです。諸々の事にはタイミングと言うものがありまして、今回はアラーに呼ばれなかったと言う事ですね。。

残念は残念ですが、次回行く時は更に知識を深めて行けますし、色々の計画の準備がもっと本格的に出来ると思えば、今回の事は更にエジプトへの想いを募らせる為のステップなのだと諦めもつきます。また、今回初めて中東へ行くぞと言う事になり、今まで無視して来ていた中東を軸にした歴史に目が開いた事も、大変有意義だと思っています。(歴史的、宗教的な側面を、音楽としてだけではなく何か・・別の方向でいずれ表してみたいと計画しています)

マニュエルと会えなくなる事も非常に残念です。しかしこれすらも、次回行く時はきちんと音源を持って行けるし、それくらい整っていないと会いに行ってはイケナイ!と思う事にして自分自身を励ましております。

千のミナレットの街と言われるカイロ。それぞれのミナレット(のスピーカー)から同時にアザーンが鳴り響き、町の喧噪と一体となった音の塊は、一体どんな感じがするのでしょうか。しばしのお別れです。インシャッラー!(神の思し召すままに)